もしも、自分が24時間後に確実に死ぬことが決定した場合何をするだろうか??ということを考えていた。
考えに考えた結果、結局何をするかはそうなってみないとわからないという結論に落ち着いたのだった。
24時間後に確実に死ぬのだから何をしても無駄な気がするし、虚しい気がする。
しかし、確実に死ぬのだから自殺する必要もなくなるし、人生にこれ以上悩む必要もなくなる。
なぜなら、悩んだところで24時間もすれば死んでしまうからである。
とりあえず、絶対にしないことはたくさんある。
仕事は絶対にしないだろう。
仮に、暇つぶしに仕事をしに行ったとしても会議にだけは絶対にでないだろう。
職場の会議ほど無駄で、虚しくて、アホらしくて、意味がなくて、それこそ時間を無駄にするものは他に考えられないからである。
もうあとわずかで死んでしまう身の自分が会社の将来のことについてああでもない、こうでもないと 考えたり、悩んだり、議論する意味がどこにあるだろうか?
仕事が大好きで生きがいだった人はもしかすると死ぬ直前まで働いていたいという人もいるだろうが、そういう人でも会議に出たい人は少ないように思う。
人生が残り24時間しかないのならお金なんてものもほとんど意味がないに等しいものかもしれない。
所詮、お金なんていくら持っていても死ぬときには何の意味もなくなるのである。
そんな自分が数億円持っていようが、逆に数千万円の借金があろうがもはや関係ないのではないだろうか?
ただ漠然とこれからも数年から数十年は生きるだろうというなんとなくぼんやりとした前提をもとに働いて金を稼いだり貯めたりしているだけであってその前提が一気に崩れたとしたら何の意味もなくなるのだ。
そう考えるといかに馬鹿げたことのために毎日我慢して嫌な思いをして仕事に行っているかよくわかる。
本当は、必要ないのかもしれないのだから。
人間って不思議な生き物で、自分が死んでこの世からいなくなることが確実であることを知っていながら、あたかも死ぬことがないかのように振舞っていられる生き物である。
すぐに死ぬことはないだろうという前提のもとに色々なことを考えたり悩んだりしている生き物である。
人間関係やらお金やら仕事やら健康やらありとあらゆることで悩むのも自分がまだしばらくは死なないだろうという前提をもとに、この先どうなってしまうのだろう?と不安になるのである。
この先、どうなるも何も数十年後には確実に死んでしまい、この世から消えてしまうだけである。
その瞬間に人間関係もお金も仕事も健康もその他ありとあらゆるこの世の悩みもすべて消えてなくなるのである。
それらはただの概念である。概念というものは実体のないものだからほとんど幽霊みたいなものである。
漠然とした幽霊みたいなものに愚弄されて生きているだけである。
実は悩む必要など何もないのだ。
ただ、生きて死んでいくのみ。それ以上でもそれ以下でもない。
悩んでも悩まなくても寿命がこれば皆、例外なく死ぬのだ。
それでも悩みはなくならないものだが、24時間後に死ぬとしたらというグロテスクな想定を本気で考えてみるとだいぶ気が楽になることだろう。
結果的にこの世に必要なものなど実は何もなかったことにはっと気付くことになるからである。