人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

いい人は気持ち悪いこともある

世間には様々な人種が生息していてその中には俗に言ういい人という類型に当てはまる人がいるのだが、その中にも色々いて気持ち悪い人が紛れ込んでいる。

なぜ、その人はいい人と呼ばれるのか?

それは、人当たりが良かったり、穏やかで優しかったり、親切だったり、愛想が良かったりするからである。

では、なぜそのように他人に対して振舞えるのか?ということが問題になる。

世の中には本当に生まれつきの天然で人が良くて気立てが良くて愛想があって、親切でいい人がいる。

これらの人は全く問題ない。毒を感じることもなく安心して付き合うことができる。

しかし、そうでないいい人の類型の中に、負けず嫌いでいい人に思われたくていい人を演じている人がいる。

こういういい人は要注意だ。

こういうタイプのいい人はくせ者が多い。

今の職場の上司はそういうタイプである。物凄く負けん気が強くて我が強くて自己主張が強いタイプなのだが、いい人に思われたいと言う思いも強いため無理にいい人を演じているのである。

一見すると誰に対しても優しく、親切で、愛想が良く、いつも笑顔で、人当たりが良さそうな印象を受けて、付き合いが浅いうちは本当に根っからのいい人なのかと思ってしまう。

しかし、しばらく付き合っているうちになんか違うぞ??と言う言葉が頭をもたげてくる。

人のいないところで陰口を言ったり、やたらに頑固で自分を曲げなかったり、人によって態度が違ったりする様子を見かけ、化けの皮がはがれてくるのである。

それでも、本人はそういう自分に負けたくないから化けの皮がはがれそうになると必死にいい人を演じなおす。

しかし、そうすればするほど、ストレスが溜まり、イライラし、性格が荒れてきてそれを隠そうと必死になりいい人なのかただの負けん気が強い頑固者なのかよくわからなくなってくるのである。

そういう人に向かって、「もういい人なんかやめたら?」と声をかけても無駄である。

その人は負けん気が強くて自分にも他人にも負けたくないからいい人を演じているからである。

結局は他人に良く思われたいという願望が強いだけなのである。

そして、それは究極の自己愛に基づいたものであり、動機としてあまり美しいものではないのである。

私はいい人というのは要注意だと思っている。わざとらしく不自然な場合が多いからである。

本当に産まれ付きの天然でいい人でない場合はいい人であろうとするのを辞めるべきだと思う。

その方が自然な感じでずっと好感がもてることも多い。

いい人であろうと努力することは人間として重要なことだと思うが、その動機が負けん気の強さであったり、見栄みたいなものだったりするのなら即刻やめるべきである。

自分を作ろうとするよりも自分に素直で忠実であるほうがずっと重要だと思うからである。


桂米朝 「地獄八景亡者戯」 - YouTube