1人の人間の人生はなかなか壮絶なものがある。
自分の人生を他人の人生と比べることは絶対にできない。
1人の人生のストーリーはそれだけで充分にユニークである。
人生は「いつ、どこで、どの親のもとに、どの自分に」生まれてくるかによって決まる。
初期条件が最悪だと最初から物凄く苦労を強いられることになる。
しかし、初期条件が非常に良くてもその後の人生は運がつきまとうのでうまくいくかどうかはわからない。
結局のところどの人生も波乱万丈なものとなる。
以前までの私は他人の人生を羨むことが多かった。
自分の人生は不幸だから他人と変わりたいと思っていた。
しかし、他人の人生も決してそんな簡単で生易しいものでもなさそうだ。
1人の人生というものは決して他人にはわからない見えない苦しみや苦労がたくさんあるものである。
隣の芝生は青く見えるものだから自分が不幸だからと言って他人と代わっても決して幸せになれるものでもなさそうだ。
そして、結局のところ長生きしても100年程度の長さしかないわけだから死んでこの世からいなくなるという運命は皆同じだ。
この自分の人生を、運命を受け入れる覚悟が絶対に必要である。
今の私は自分の人生を完全に受け入れることができている。
色々なことが諦められつつある。
それだけやりたいこともやったし、悔いがないということもある。
しかし、それ以上に人生というものはどんなに長く生きても経験を積んでも決してよくわからないということがわかったのである。
よく日本人が海外に行って「実は身近な日本のことを全然知らなかった」とか「日本のことがよくわかっていなかった」などの感想を持つがこれはある意味正しくない。
結局のところ人生はどんなに長く生きても何を知っても学んでも経験しても「何事もよくわからない」というほうが正しいのだ。
わかった気になることはできても実際にはほとんど何もわからないのだ。
だいたい今目の前に展開されている光景の中でしかよくわからないからそれ以外のことは予知能力でもない限り全然わからないのだし、今目の前の光景ですらほんの一部でしか理解できない。
1人の人間の力など所詮そんな程度だ。
何かをわかろうとすること自体が驕りである。
自分の身体のことすら「今何が体内で起きているのか見えない以上」よくわからないのだ。
そう考えると人間は生まれてきて何がなんだかわからないまま年老いていつの間にか死んでいくということになる。
結局死ぬまで何もわからないだろう。
それで良いのだ。
わからないのだから常に謙虚でいる姿勢が大事なんだ。
自分は何らかの大きな力で生かされているのだ。