人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

人生とはとんでもないほど不条理なもの

人生とは信じられないほど不条理なものである。

まず、どこの国のどういう家庭に生まれてくるかで全然違う。

金持ちの家に生まれてくるか貧しい家に生まれてくるかで学歴も違ってくるし、その後の収入も変わってくる。

親がちゃんとした人格者で愛を持って育ててくれたか愛されず虐待を受けて育てられたかで全然違う。

例え親や家庭がそれほど問題なくても自分がどんな遺伝子や病気を持って生まれてきたかでまた全然違う。

根っからの病気がちだったり、根気や才能が何もなかったり、怠惰だったり、不真面目だったり、乱暴だったり、マイナス思考だったりと負の要素がたくさんあったり、負の側面が強烈に内在していると苦労することになる。

どんなにマイナス要素をたくさん持っていて自分で解決できない問題を抱えていても生きていく以上折り合いをつけていかなければいけない。

いずれ社会に出て働かなければいけない。

社会に出ればどんな言い訳も許されない。結果だけから「出来る奴」や「出来ない奴」のレッテルを貼られ評価されてしまう。

社会は物凄く残酷だ。

やりたい仕事がなくてもとりあえず嫌な仕事でも何でもして生計をたてていかなければいけないし、どんなに嫌な奴がいても妥協しながら仕事をしていかなければいけない。

どんなに根っからの生まれつきでやる気や才能や根気がなくてもそれを言い訳にすることができない。

遺伝子が違うのだから能力が違うのは当たり前なのに、全くの他人と協調して仕事をしなければならず、結果だけから評価をされてしまう。

まったくもっておかしな話だが社会を円滑に運営するためにやむを得ないシステムが作られているのである。

自分は仕事というものに何も才能がないしやる気もない人間である。

本当は仕事なんぞ全然したくないと思っている。

しかし、生きるために致し方なく働いている。

やる気があったり能力があったりと資質に恵まれた人と恵まれてない人が一緒になって同じ職場で働いている。

この矛盾は何なのか?

解決不能だ。

さっさと死にたいと思っているのだが死ぬのも楽ではないから仕方なく生きている。

自分は望んで産まれてきたわけではない。

でも、よく考えると他人も似たようなものだ。

産んだのは親であり、自分で自分を設計して産まれたわけではないからだ。

しかし、その親からもらった遺伝子がどうしようもなくひどい自分みたいな場合は悲惨である。

でも、それも言い訳にしか聞こえない。

他人は他人でそれぞれ苦労を抱えているし、自分よりもっときつい状況に陥っている人間はいくらでもいるからだ。

まだ働けるだけでもましかもしれない。

未だになぜ人間は生まれて来て苦労して生きていかなければいけないのか意味がわからない。

なぜ苦労しながら生きてまた子供を作って人類を繁栄させていかなければいけないのかもよくわからない。

世の中わからないことだらけだ。

やはり人生に意味はなさそうだ。

でも意味はないけど死ぬわけにもいかないから生きているのだ。

まったく変な話だ。

とりあえず何も考えるのをやめたい。

何も考えないほうが楽だ。

でもどうしても気になってしまう。

とりあえず自分は自分が嫌である。

もっと理想的な状態を自分で設計して生まれてきたかった。

なんで自分は自分でなければいけなかったのだろう?

なぜ苦労しなければいけなかったのだろう?

理解に苦しむ。