人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

人間の魅力について

昨日は職場の仲間と3人で食事会をした。

職場の色々な人々をネタにして盛り上がった。

気の合う仲間同士だから自然と意見が一致するのだが最も共感できるのはそれぞれの人間が持つ魅力の部分である。

あの人はこんな人だ、この人はこんな人だとそれぞれがそれぞれの見方をしている。

そして、あの人は魅力的な人だとかこの人はあまり魅力がないとか色々考えている。

不思議なことに人間の魅力の部分では共通するものを感じる。

女性として魅力を感じる人、男性として魅力を感じる人、性的に魅力がある人ない人、恋愛対象に入る人、入らない人など魅力という人間の持つ個性については普遍性があるものだ。

魅力がある人にはあるし、魅力がない人にはない。

これが現実問題としてある。

どこからどうみても魅力を感じない人っているものだ。

逆にどこからどうみても凄く魅力的な人ってものもいる。

結局のところその人の持つオーラや人間力、総合力のようなものが魅力を醸し出すのだろう。

魅力がある人に共通するところは余裕があるところだ。

緊急事態にパニックになってイライラしたり、周りにあたったりしないで大きくゆったり構えて自信を持って誠実に物事に対処できる人間には魅力があるものだ。

それに周囲の人間に気配りや配慮ができるかどうかも大事である。

魅力のない人間にないものは思いやりである。

逆に言えば常に思いやりを持って他人に接することができる人間は魅力的な人間である。

それも狙ってやるのではなく自然に思いやりや配慮を示すことができるかどうかが最重要だ。

いかにも人によく思われようと狙った感じで配慮をしてもらっても全然あり難みがないし、不自然な感じで魅力的に映らない。

あくまでも自然に全ての人間に平等に対等に接しているんだなということが伝わってくるような配慮が出来る人が魅力的な人である。

強引な人というのはあまり魅力がない。

人間が生きる上で絶対に譲れない部分を持つこと、自分の信念を貫くために強引な姿勢を持つことも時に必要であるがいつもいつも強引な人は傲慢に映るものだ。

強引な人の典型は軍人であり、独裁者、独裁主義者である。

自分が絶対で、自分の命令に従わない人間を排除するのを是とする人々である。

私は独裁者みたいな人が仕切っている軍隊のような職場で働いた経験があるが、心の底から魅力を感じなかった。

結局のところそういう人達というのはイエスマンしか求めていないのである。

自分に盲目的に従う人は絶対的に可愛がるのに少しでも反対すると手のひらを返したように排除してしまう。

こういう人が職場を仕切っている独裁国家のような職場は世間にいくらでもあるが全然魅力がない場合がほとんどだ。

自分は自己主張が強いからそういう独裁者みたいな人には絶対にこびへつらいたくないし、自分の意見を堂々と主張し、自分が間違っていると思ったことはどんな状況でもそれは間違っているとはっきり言いたいタイプである。

そういう性格が魅力的なのか逆に魅力を減じてしまっているのか自分でもよくわからない。

しかし、持って生まれた能力を大切にしていかなければいけないとも思う。

人間が生きていても死んでしまっても結局のところどうでもいいと私は思っている。

ただ、せっかく生きているのだから言いたいことははっきりと言って堂々と死んでいきたいと思っている。