時々無性に食べたくなり、やよい軒に行ってチキン南蛮定食を食べてしまう。
さらに欲を出してチキン南蛮とエビフライの定食を食べる。
もっと欲を出すと単品で玉子焼きを頼んでしまう。
これがもう絶望的なほどうまい。
やはり、やよい軒は何を食べても美味しいし、日本の味がするものだ。
さて、ミャンマーといえば1962年の軍事クーデターにより軍部による軍事政権が未だに続いている国だ。
いわゆる、軍部による国の乗っ取りである。
隣のタイ王国も軍事クーデターにより事実上の軍事政権となっている。
軍人というのはクーデターが大好きで隙を見つけては国を乗っ取ろうと躍起なようだ。
もちろん、イスラム国なんかもそうだし、北朝鮮も似たようなものだ。
そのミャンマーという国に2012年に行ってきた。
ミャンマー人はとても親切だと本やネットで知っていたので、実際はどんな感じなのか見てみたかった。
案の定とても親切で温和で穏やかな国民性であった。
最初にヤンゴン空港に到着してタクシーで市内に向かう間にタクシーの運転手が必死に後部座席の私に話しかけ、世話を焼こうとしてくれた。
タクシー運転手がこんなにフレンドリーな国は少ない。
隣のタイ王国なんかのタクシー運転手はほとんど何もしゃべらない。
フィリピンなんかに行くと逆にとてもフレンドリーで鼻歌を歌ったり、話しかけてきたりする。
ミャンマーの場合はとにかく世話を焼こうとしてくる。
このタクシー運転手と話していて実に興味深いことを知った。
ミャンマーというのは軍事政権であり、庶民の自由は少ない。
言論の自由も少ない。
公然と政府の批判をしようものなら逮捕されかねない国である。
しかし、ほとんどの国民は軍事政府に対して大きな不満を抱いているのだ。
不満があってもそれを公にできないストレスは物凄いものがあるだろうと想像できる。
軍事政権下の国というのは往々にして自由に対して厳しく制限が加えられているものだ。
ミャンマーの場合はその典型で旅人としても不自由が多くて辟易した。
まず、インターネットに規制がかけられていてほとんど閲覧ができない。
そして、外貨両替店が少なくATMもほとんど見当たらなくてお金の持ち運びに支障をきたすのだ。
今は撤廃されたが以前は入国時に200ドルのミャンマーチャットへの強制両替というシステムがあった。
200ドルというと結構な大金である。
2万円近い金額を入国時にミャンマーチャットへ両替しなければ入国できなかったのだ。
当然ながらミャンマーチャットなんて紙幣はミャンマーを一歩外に出れば紙くず同然である。
日本円や米ドル、ユーロ、タイバーツなどとは通用度が全然違う。
国外に持ち出したところで何の価値もないのだ。
だから滞在期間中にミャンマー国内で使いきらなければならず物価が安いミャンマーで短期間滞在するだけなら損する仕組みだった。
これがなくなっただけでも大きな進歩である。
さて、話は戻って入国初日の空港から市内へのタクシー運転手の話は興味深いものがあった。
私は兼ねてからミャンマー国民にアウンサンスーチーのことをどう思っているか聞いてみたかった。
そこでタクシーの運ちゃんに「あなたはアウンサンスーチーは好きか?」と聞いてみたのだ。
そうするとタクシー運転手は周囲を見渡し少し声のトーンを下げて「もちろん大好きだ。アウンサンスーチーは私の神様だ」と言ったのである。
周囲を見渡してというのがポイントである。
ミャンマーは軍事政権の国であり国民の言論の自由はほとんどない。
警察などに聞かれたらまずいのだろう。
だから周囲を見てから声のトーンを下げて私にそう答えたのだ。
その後ミャンマーを旅していく中で徐々に明確にわかってきたのはアウンサンスーチーの熱狂的な人気ぶりである。
そこら中の至る所のお店や売店でアウンサンスーチーの写真やポロマイド、顔写真入りのうちわなどが売られている。
なるほどこれだけ人気が強いとさすがに軍事政権も批判を恐れて規制ができないのだなと思った。
とにかくアウンサンスーチーの熱狂的な人気ぶりに驚いた。
ミャンマー国民にとってはアウンサンスーチーは国民的アイドルであり、英雄であり、期待の星であり、神様みたいに光り輝く存在のようだ。
ミャンマーは1962年に軍部クーデターにより軍事独裁が続いていて1990年に総選挙が行われてアウンサンスーチー率いる国民民主連盟が大勝して一気に民主化に進むかと思いきや軍事政権がこの選挙結果を認めず、結局軍事政権が今に至るまで続いているのである。
総選挙と言ってもAKB48の総選挙とは全然違う。
最多得票数を獲得した者が必ずセンターをとれる程民主的ではないのだ。
アウンサンスーチーは政権転覆を狙う危険な人物ということで何回も政府から自宅軟禁をされ表だった民主化運動はできないように半拘束状態にされてきた。
このような状況の中で国民が怒らないわけはないし、納得できるはずもない。
1990年にアウンサンスーチーが正当な方法で選挙に勝ってとっくにミャンマーは民主化されていたはずなのに結局軍事政権の力でねじ伏せられて、活発な政治活動もできず、言論の自由もなく、経済活動も停滞し、貧しい状態を強いられているのだから。
初めてミャンマーを訪れて思ったのは軍政の国というのはとても規制が多くて不便であるということ。
そして、国民はとても不満に思っていることである。
軍人というの非常に頭が悪くて感情的だとも思った。
とにかく軍人は柔軟性にかける。
物事に対して多様な考え方ができないのだ。
白ならば白、黒ならば黒、白でも上が黒といえば黒、グレーは認めないという感じだ。
とにかく上の命令にはどんなに理不尽であっても絶対服従。
もちろん自分が上に立てば下のものに絶対服従させるのが当然。
だから組織が硬直化して物事に活気がなくなり輝きが失せるのである。
しかし世の中にはこういうのが大好きな輩がどの国にもどの時代にも少なからずいるものである。
こういう輩が組織に入るととにかく上の者、強い者、権力者には絶対服従で逆らわずこびへつらい、自分の立場を守り、安全を確保した上で、自分の権力を行使できる下の者には徹底的に服従を求め、忠誠を誓わせるのである。
つまり、上の者である権力者に完全服従でこびへつらい、自分の立場を安泰にさせた上で、自分の強さを誇る為に下の者に強く出て服従させ優越感を誇るのである。
これが全世界の軍人、軍隊に見られる組織構造、精神構造である。
これを客観的に見て強く感じるのは「チキン」だということだ。
結局、軍人はチキンだなと思う。
本当に強い男なら例え立場が下であっても上の者が理不尽であったら論理的に食ってかかってもいいはずである。
しかし、軍人というのはそういう思考をしない。
自分が理不尽だと感じても上には絶対服従し、逆に自分が上の立場になったら下の者にどんなに無理があっても絶対服従させる。
これが当たり前の世界であり、それを守ることが軍人の平和と安定、果ては幸福である。こういう構造をしているからこそ軍政の国というのは発展から取り残され、世界から白い目で見られ、馬鹿だと思われるのである。
安倍政権はじめ、自民党も公明党も心の底からチキンだなと思う。
結局アメリカに服従し、守ってもらうことが安全保障の根幹なのだ。それしかないのである。硬直化した軍人の発想そのもの。
歴史を振り返ると日本は70年前に太平洋戦争で完全に大敗した正真正銘の敗戦国であり、言わば負け犬だ。
だから本来なら軍事に関して負け犬らしく大人しくしているのが筋だ。
それが負け犬の遠吠えをするから醜くなるのである。
負け犬が強く見せようとして遠吠えをし、アメリカの陰に隠れて世界と一緒に戦い、強く見せようと背伸びをするからカッコ悪いのである。
むしろ、アメリカに戦争しかける位の気概があったらもう少し見直すのになあ。
自民党も公明党もとにかく安全保障のためにアメリカに守ってもらうため日米安保条約強化の一点張り。
何度も言うが日本は敗戦国であり負けた犬なのである。
負けた犬だから、もうカッコつけて前に出てきて吠えるな、大人しく黙ってろということでアメリカから戦争を禁じた平和憲法を押し付けられて黙らされているのである。
これが気に入らないのならアメリカに再度戦争を仕掛ければいいのに、絶対にそうしない。
なぜなら負けることがわかっているからである。勝てないことがわかっているからである。ボコボコにされるのがわかりきっているからである。
そこは軍人らしく強い者に巻かれて自分を守ってもらい、弱い者に強く出て自分らは本当は強いんだ思い込みたいのだ。
しかし、本当は弱いのである。情けないがこれが現実。
ここが前の職場にいたチキンな経営者の思考とそっくりである。
前の職場の経営者の従業員からの嫌われ方は半端ではなかった。
それは強い者に弱くへこへこし、弱い者に強く出て自分は強いんだ見せかける虚勢を張っていたから。
こういう男というのは世間で一番醜く嫌われる男である。
なぜなら本当は弱い癖に虚勢を張って強く見せたがりカッコつけたがるからである。
自分の経営者という立場や権力にしがみついてそれを盾にすることでなんとかギリギリのところで自分を守っている汚さがあるからである。
カッコイイ男、強い男というのは常に素の自分で勝負していて自然体でナチュラルで謙虚である。
立場や権力を何も感じさせない男である。
だから誰からも慕われるのだ。
日本もこういう国を目指したほうがマシだと思う。
どうせ負け犬国家なのだから軍事面では負け犬らしく大人しくしているのがベスト。
アウンサンスーチーが国民から大人気なのもどれほど軍政から圧力をかけられ自宅軟禁などの拘束を受けても諦めず民主化の理想を貫いて活動を続けようとしているから。
これが、軍政の圧力に負けて軍部に寝返っていたら国民からソッポを向かれることだろう。
ということでまたミャンマーに行きたくなってきた。今は3年前とだいぶ状況が変わり発展しているというし、旅もしやすくなっているようなのでもう一度訪れて今のミャンマーを見てきたいのである。