今日は時間があったので、約1年ぶりくらいに釣りに行ってみた。
しかし、あまりあたりが来ず結局1時間少しやって1匹釣れたところで釣りをしている自分が死ぬほど嫌になったのでやめて帰ってきた。
やはり、やりたくないことはやっては駄目だ。
釣りなんて本当はやりたくないんだと心の底から思った。
以前は釣りが好きだったのだが最近はどちらかと言うと嫌いである。
行くまではいいのだが、釣りを始めた途端、心底嫌になってきて帰りたくなる。
だから結局毎回2~3時間もやると帰ることになる。
以前は半日くらいはもったものだがいつの間にか2~3時間になり、いよいよ1時間しかもたくなった。
本当に私は釣りが嫌いなのだと思う。
しかし、なぜか暇になると行きたくなってしまう。
行くと釣りをしている自分が嫌過ぎて死にたくなる。
海に飛び込んでそのまま死にたくなるのだ。
今日も、いっそのことこのまま身を投げて死んでやろうか?と本気で思った。
ただ、溺れ死ぬのは苦しいだろうなと思ってやめた。
人生は本当に面倒くさい。嫌でたまらない。自分が大嫌いだ。
なんで生きなきゃならんのだ。
なんで俺の親は俺を産みやがったのだ。
釣りをしているとこんなことが盛んに頭に浮かんでは消えていく。
一見楽しそうに釣りをしている私の姿をはたから見た人は私がこんなにマイナス思考になっているなんて想像すらできないだろう。
釣りを終えて車で帰宅している最中、心の底からほっとした。
あのまま続けていなくて良かったと思った。
帰りの車の中で考えていたのは「自分をそんなに責めなくても良いのではないか?」ということだった。
私は望んでこの自分に生まれてきたわけではないのだ。
私が自分で選べるなら間違っても自分を選ぶことはないだろう。
何かの加減でたまたま私になってしまっただけなのだ。
自分を許すことが重要である。
もっと無責任に生きていいんだ。
それにしてもさっさと死にたい。
それと今日はネット動画でイスラム国の斬首画像をたくさん見てしまった。
捕虜にオレンジの服を着せて一列に並ばせていっせいに首をナイフで切っていく様は大変グロテスクだ。
よくあんなことが平気でできるなあと感心した。
結局のところ恐怖政治なのだろう。
捕虜の首を切らないと自分の首を切られるから仕方なく嫌々やっている兵士がたくさんいるのだと思う。
あんなグロテスクで悲惨なことを喜び勇んでやりたがる人がそんなにたくさんいるとは思えない。
ついでに、メキシコの麻薬カルテルの斬首画像を見たけどもっと悲惨だった。
拷問のためにまず指を切り落として激痛に喘がせた後に首をナイフで切り落とすのだ。
吐き気がしてくる。
ああいうことができる人は一体どういう神経回路をしているんだろう。
日本人のヤクザもマジでびびるレベルのことを平気でやっている。
ちなみに私は結構グロテスクな画像や動画を見ることができるタイプだ。
海外一人旅で深夜に知らない街を一人歩きすることなんかも好きだし、意外と勇気があるほうだ。
戦場なんかも近くまで行ってみたいとか興味で思うこともある。
ただ、私はホラー映画は一切見ることができない。
今までホラー映画と名のつくものを見たことがない。
怖すぎてみれないのだ。
間違いなくフラッシュバックしてしまって日常生活に支障がでる。
というかホラー映画はまともに画像を直視できない。
でも世の中にはああいう映画を好き好んで見る人がいる。
信じられないことだ。
そうは言いながらもイスラム国の斬首画像なんかは割りと平気で見られるから矛盾している。
ただ今、審議中の「平和安全法制」が通過してアメリカについて世界中に自衛隊を派遣することができるようになると将来、シリアに自衛隊が派遣されてイスラム国との地上戦をやるかもしれない。
そして、捕虜になった自衛隊員がイスラム国の兵士に斬首され、それが動画にUPされることになるかもしれない。
これが平和安全法制の実態である。
平和安全法制あっぱれである。