仕事でも趣味でも勉強でも何でも世の中は継続が力なりと言われる。
確かにその通りだ。
しかし、なぜ同じことを繰り返し続けなければいけないのか意味がわからなくなる。
例えば仕事なんかは基本的に毎日似たようなことを繰り返している場合がほとんどである。
ここに意味を考え始めると終わりだ。
人生そのものに意味がないことをまず最初に確認しなければならない。
人生そのものに、生きることそのことに意味なんてないのだから仕事に意味がないのも当然である。
よく「同じ仕事を繰り返しても何も得られない」などと思ったり、言ったりすることはあるけど、これは正しいようで正しくない。
人生はどんなに新しいことをし続けても結局はいずれ寿命がつきて死ぬと言う限界を持っている以上、何かを得ることそのものに意味があるのかわからないのだ。
私は海外一人旅が好きで、しかも新しい国、行ったことがない国に行くことに興味があると考えて実行してきたが、どんなに新しいことに挑戦し続けたとしても結局それが何なのか?という気持ちになった。
結局、新しい行ったことのない国に行ってもそこでは日々現地の人が同じことを同じように繰り返しているだけという現実がある。
自分が新しいことを観測するというだけで、それは既に現地人の退屈な繰り返しの生活の中にあったものであり、決して新しいものではない。
人間の人生というものは繰り返しの中に真実があるとも言える。
しかし、繰り返しの人生は飽きる。
飽きた時にどうするかが最も大事だ。
私は仕事に飽きたときはすぐに転職して見知らぬ土地を旅して刺激を受けて気分転換を図るという形で生きてきた。
まあこれはやむを得なかったことだと思うしやり直しても同じような結果になると思うし、それが私だから仕方がないとは思うが、継続は力なりという言葉もまた真なりだと思う。
物事を続けるということは大変なことだ。
物事を続けることに意味がないのではないか?という絶望的な不安の中で諦めずに続けるということは凄く大変なことである。
結局のところ人生に新しいものなんてないのかもしれない。
新しいものも時間が経てば古くなる。
新鮮なものもすぐに新鮮でなくなる。
人間は生まれては死んでいく。
すべての人生は似たようなことを繰り返しているだけだ。
これは地球規模で見たらほとんど意味がないことに思う。
しかし、意味がないと思いながらも続けていることに何かしら意味がありそうな気がする。
一見意味がなさそうなことの中に深い意味がありそうな気がする。
人生とは馬鹿らしいことアホらしいことの連続である。
その馬鹿らしい、アホらしい人生を継続することは大変だからこそ価値があるのかもしれないし、続けることは何かしらの力になるのかもしれない。