日本と言う衛生的な国に住んでいてしばらく海外に出ないとそれが当たり前のものだと錯覚してしまう。
しかし、現実的にはこれは当たり前どころか真逆で世界でも類を見ないほど日本人は綺麗好きで衛生的な環境の中に住んでいる。
インドと言う国に行くとありとあらゆる意味で衝撃を受けるが最も恐ろしいほどの違いは衛生面である。
インドは恐ろしく汚い。
例えば電車に乗ってトイレに行くと排泄物の落下先は線路である。
トイレの便器内に穴が開いていて地面が見えている状態である。
線路沿いは糞尿まみれである。
この感覚は日本人にはわからないものだろう。
排泄物が線路に垂れ流されその上を電車がひっきりなしに通っているなんて汚すぎて耐えられないのが日本人だ。
しかし、インドではそれが当たり前の光景である。
日本の人口は1億2600万人、対してインドの人口は12億人、つまり単純計算で日本の人口のおよそ10倍がその状態を受け入れているわけである。
これは恐るべきことだ。
日本の常識は世界の非常識とはこのことである。
今はそんなことないんじゃないか?と思う人もいるかもしれないがとんでもない。
今も昔もインドは全く変わっていない。
インドでは牛や猿やヤギや犬が道端を闊歩し、糞便は垂れ流され、路上生活者の数は半端じゃなく、カーストによる貧困問題が解決されず、衛生面でも劣悪な状況にある。
日本の常識の中には改善すべき点を速やかに改善するというものがあるが、これもインドなどの途上国では非常識となる。
改善すべき部分を改善するのは大変で面倒くさいし、そのままで問題がないから改善しないで放置するのである。
インド人は道端や川にゴミをポイポイ当たり前に捨てるため環境の悪化が凄まじい状態になっているが、当人達にとっては自分さえ良ければいいという感覚だから改善が難しい。
インドにはゴミ拾いをして生業を立てているカースト層がいるからゴミを道や川に捨ててあげれば彼らが喜んで拾ってくれるということである。
しかし、実際には金になるゴミしか拾わないからほとんどのゴミはそのまま残り環境は最悪な状態になる。
それが生活を汚染しているのに誰も本腰を入れて変えようとしない。
民度が低いとはこのことだがこれが現実だからそこで生活する以上受け入れるしかない。
さらにインドでは恋愛結婚はタブーである。
結婚は親が決めるのがインドの風習である。
だから結婚当日まで顔すら知らなかったなんてことは日常茶飯事である。
カーストによる縛りがある階級社会が色濃く残っていて間違ってもカースト層が違う人同士で恋愛結婚は公に認められないのである。
なかにはそういう人もいるだろうが家族を捨てる覚悟がないと無理だろう。
そう考えると日本には自由があるし、衛生的な環境もあるから恵まれていると言わざるを得ない。
人生に悩んだときは少しインドのことも考えるようにしている。