人間には紛れもなく器の大きさというものがある。
これは包容力という言葉で言い換えることができる。
この包容力が大きければ大きいほど他人から好かれ、尊敬され、一緒にいると居心地の良さを感じるものだ。
包容力とは他人が他人らしくあるあり方を受け入れる心の広さである。
私はこの包容力がないという点、人間としての器が小さいという点に大変悩んできた。
しかし、これは結果的に努力で変える事ができないということに気づいた。
残念ながらこれは真実だから致し方ない。
自分で自分の内面を根本的に変えることは絶望的に不可能だ。
この大きな断崖絶壁にぶつかった時にどうすればいいのか?
私は激しく悩んできた。
どうにも変える事ができなさそうだ。さてどうしよう?とりあえずこの状況を受け入れざるを得ない。
でもどうにも自分が自分で気に入らない。
なんとかならないだろうか?
いや、なんともならない。どうしよう、どうしよう?
こういう風に悩みながら10年以上があっという間に過ぎてしまった気がする。
もうこのまま死ぬしかなさそうだ。
私は頑固である。
包容力がなくて、器が小さい人間である。
そして、それは変えられない。
しかし、私は頑固で自分の信念を容易に曲げられなかったからこそ自分のやりたいことをやってきたとも言える。
そういう意味で後悔はない。
どうにも納得できない後味の悪い思いがありながら人生に半分諦めもついてきた感じがする。
でも、納得できない。しかし、諦めざるを得ない。
同じところをぐるぐる回り続けてきた。
このまま死にたくない。いやでももうこのまま死ぬしかない。
ズンズン意固地になっていく。
自分らしい人生とは何か?激しく求めてきた。
自分らしく生きるために全力で人生と格闘してきた。
その結果より柔軟性を失ってしまったのかもしれない。
人生とは結局のところ選択なのだと思う。
何かを得れば何かを失う。
同時に二つの物を手に入れることができない仕組みになっている。
私は間違いなく何かを手に入れたがほかの何かを失ってきた。
後悔がないつもりで生きてきたし、ほぼその通りなのだがやはり、根本的に人生に納得できない面がある。
しかし、これは致し方のないことである。
もう諦めるしかなさそうだ。
と考えたら少し憂鬱な気分になった。