仕事とはいったい何なのか?と泣き叫びたくなるほどわからなくなる時がある。
毎日のように職場に行きだいたい同じようなことをして帰ってくるのだがいつもいつも「なんか変だなあ?」「なんか納得できないな」でもしょうがないと思い直し、しょうがないと思いながらもどうにも割り切れない気持ちをもって帰ってくる。
今までのブログで散々書いてきたように今の職場は本当に良い職場である。
基本的に行くのが全然嫌じゃないし、変なストレスもないし、定年まで働きたいと思っている。
しかし、それとは別に「仕事っていったい何なのか?」と言う素朴な疑問やもやもやが解消されないでいる。
職場とは、どうにも自分のこれまでの経験や実感とはかけ離れた変なことが日々行われていてそれをどうにもできない変な空気があるところである。
今までの職場もすべてそうであったし、今の職場もやはりそうである。
ただ、一つ前の職場は本当に最低最悪なところだったからどうにも耐えられなかった。
太平洋戦争時の大日本帝国みたいな雰囲気があって、妙な体育会系を醸し出していた。
前の職場は一言で言うと軍国主義的な独裁国家で言論統制みたいなものがはっきりとあった。
おかしなことをおかしいと言い出すとたちまち逮捕されてしまうようなどうにもならない変な独裁国家の雰囲気があったのだった。
今の職場は少なくともそういう雰囲気では全然ない。
民主主義的な風土を持つ善良な職場(国家)である。
それはさておき、自分と自分以外の人達で組織されている集まりが職場である以上どうにも納得できないことが次々と出てきてしまうのは致し方がないことだろう。
よく考えると、例えば従業員が300人の職場なら自分以外の299人が他人ということになる。
従業員が1万人いたら自分以外の9999人は他人だということだ。
自分の思うようにことが運ぶなんてことがあるはずもないのだ。
それはわかっていてもどうにも納得できない変なことが頻繁に起こるのが職場である。
自分の常識がおかしいのか?他人の常識がおかしいのか?何が正しいのか全然わからなくなる瞬間がある。
職場には決められたルールがある。
そのルールを守るために多くの従業員は努力をしている。
しかし、そのルールを平気で破る人がいる。
他人のルール違反により自分に害が及びうる時、自分は本当にどうしたらいいのかわからなくなるのだ。
自分を傷つけられかねないのだから当然、自己主張をして相手にルール違反を警告し、ルールに従ってもらうべきであろう。
しかし、職場という組織ではすっきりと自己主張しづらい感覚がある。
仮に、自分の主張を相手に伝えたとしても心の中のわだかまりは消えない。
自分が正しいと信じたことは本当に正しいことだったのだろうか?という疑念が沸き起こり、悩みの種になりうる。
そして相手に不快感を与えたのではないか?という自責の念が沸き起こる。
しかし、やはりあの場では自己主張しなければどうしようもなかったのだという諦めの気持ちも沸き起こる。
すべてがすっきりとしない。
そもそも私はいまだになぜ働かなければいけないのか?よくわからないでいる。
働くことが素直に素晴らしいことだと思えない。
しかし、それ以上に働かないでいることが正しいとはとても思えない。
仮に有り余るほどの金が手元にあって働かなくても生活が成り立つとしても私は何かしらの仕事を求めて外に出ていくことだろう。
そう考えると仕事は決してお金のためだけにやっているわけではないことがわかる。
自分にとっての仕事とはある種の自己実現の場であり、信念を追及していく場でもある。
自分一人でいる時はそのように勇ましい考えでいられるのだが職場に行き、他者に取り囲まれると急に不安になる。
自分がこんなことをしていいのかわからなくなる。
自分が必要な人間なのかよくわからなくなる。
間違っていると思ったことを間違っているとはっきり口に出すことが良いことなのか悪いことなのかわからなくなり、感情と感情がぶつかりあって苦悩している自分がいる。
仕事とはそういう迷いのなかにあるものなのかもしれない。
仮に、いつも自分が絶対の自信を持っている人がいて自信満々に仕事をしていたとしても私はその人を尊敬しないことだろう。
やはり、仕事とは悩みながらやるもの、悩むべきものだと思う。
割り切れない感情を忘れてはならないと思う。
仕事には割り切った感情も必要である。無理なことはすぱっと諦めていかなければ物事が進まないし、すべてが自分の思うようにいくことなどあり得ない。
しかし、割り切ろうともがけばもがくほどどうにも割り切れないもやもやした部分がいつも残ってしまうものだと思う。
この割り切れないもやもやした部分が自分をいつもいつも苦しめる。
体内でいったん鎮火したはずの割り切った感情が下から噴き上がるマグマのように爆発を今か今かと待っている感覚が残ってしまう。
それが私を限りなくいら立たせていく。
ほんの70年ちょっと前まで日本の若者の仕事は太平洋戦争で勇敢に戦死することであった。
国のために勇敢に戦って来い、敵艦に体当たりして死んで来いと上から命令され潔く死んでいくことが良い仕事であったのだ。
特攻兵として敵艦に体当たりする特攻隊員達の中にはどんな感情が渦巻いていたのか?
もうじき死んでしまうことへの恐怖が最大のものだと思うがそれと並行して「どうにもおかしい」「なんか変だ」というもう一つの感情が渦巻いていたのではないかと思う。
仕事をしていく以上「なんか変だ」という気持ちは決して消えないような気がしている。
逆に「自分がしていることは絶対に正しい」という気持ちしかないのならそれは仕事ではない何か別のことであるような気がしてしまう。
仕事をしている以上、必ず矛盾した気持ち、複雑な気持ち、変な気持ち、納得できない気持ち、割り切れない気持ちが湧き上がってきて当然だと思う。
それはやはり仕事において職場において自分とは違う他人を相手にするという基本的な性格からきているものではないだろうか?
自分とは違う他人を相手にする以上、すっきりできない感情が残される。
仮に立場的な権力を使ってすっきりすることが事実上可能なことであってもすっきりしてはいけないと思う。
働く以上、もやもやし続けなければいけない。
そして、そのもやもやを解消してはいけない。
そのもやもやの火を常に心の中で大事に見つめ自分を反省するための材料としなければいけないような気がしている。