人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

何でも見てやろう

バリ島旅行から帰ってきてしばらく記事の更新が滞ってしまったがなんとか無事に生きている。

旅から帰ってきて以前読んだ小田実さんが書いた「何でも見てやろう」を無性に読みたくなり書店で買ってきて貪るように読んでいる。

やはり、この本最高に面白い。

小田実さんが世界一周の旅をしたのは1959年~60年頃であり、今から55年も前のことである。

当時と今とでは世界はだいぶ変わっているはずなのに文章からあらゆる移ろいゆくものに対しての確たる視点と普遍性を感じるのが凄い。

私が最も共感した部分はメキシコとアメリカの間に横たわる絶望的な大きな差異である。

この点に関しては小田実さんが見て感じた55年前も現在もほとんど全く変わっていないのがまた凄い。

私も3年前にアメリカからメキシコに陸路で国境越えをしたことがあるのだがその世界の激変振りには心底驚いたのだった。

その激変ぶりを言葉にした箇所を引用させてもらう。

「何でも見てやろう」 小田実著 講談社文庫

P136

「わずかに2百メートルの距離、ブラブラ歩いて行ってもほんの5分もあれば着くだろう。しかし、そのわずかな時間のあいだに、世界は文字通り一変するのである。私はそれからも日本に帰り着くまで、いろいろなところでいろいろな国境を越えたが、あんなにまで極端な対照を見せる国境を見たことがない。先ず、文化の差異というものがあろう。河のこちらはアメリカ語であり、スーパーマーケットであり、スープのカンヅメであり、要するに「アメリカの匂い」に満ち満ちているのに、橋一つ向こうは、スペイン語であり古びたカトリックの教会堂でありソンブレロであり生きたニワトリなのである。しかも、もっとガクンとくるのは、言わずと知れた生活水準の差、金持ち国と貧乏国の差であった。」

~引用終了~

私はこの本のこのくだりを読んだ後に、「ふーん、そんなもんか」と思ってアメリカのサンディエゴからメキシコのティファナの国境を徒歩で3年前に超えたのだが、実際に超えてみて本当にこの小田実さんが文章に表している通りで愕然としたのである。

55年近く前も今も全然変わっていない姿としてそこにあるのだ。

小田さんが言っているように金持ち国アメリカと貧乏国メキシコの間に広がる歴然とした差異を目の前にはっきりと突き付けられうろたえたのだった。

海外を旅するというのはこういうことなのだと思う。

私も陸路でいくつかの国境を越えた経験があるが、この両国間の国境を越えた時以上の衝撃はやはりなかった。

55年前に小田さんが受けた衝撃の普遍性は今でも厳然と生きているのである。

この体験は私にとって非常に貴重な経験だったと思っている。

金持ちの国とはなんであるか?貧乏な国とはなんであるか?がこの二つの国境の間を流れるしょぼい河とそれを挟んだ数百メートルの間に、徒歩で数分から10分程度の間に凝縮されているのである。

タイからカンボジアの陸路国境越えも豊かな国から貧しい国へと世界が一変していくことを楽しむことができるがそれ以上にアメリカらメキシコへの陸路入り感慨深かった。

国境の持つ意味の大きさを痛感できる。

旅の醍醐味とはまさにこういうところにある。

日本は残念ながら周囲を海に囲まれており数百メートルを歩いて国境を超えると世界が一変するという経験を物理的にできない。

世界は本当に面白いと思う。

同じ東南アジアでもインドネシアとタイとカンボジアでは全然違う。

飛行機で入ってしまうとその違いが薄まってしまう。

 

さて、国境論を終わりにして私がインドネシアから帰国後何を考えていたかというと実は「人生はつまらないなーー」と言うことをひたすら再確認していた。

 

人生がつまらないことを私は自力でどうすることもできないでいる。

 

時に、つまらな過ぎて発狂したり、自殺したりしたくなるほどである。

 

それなのに私はなぜか今もこうして生きている。

 

なぜか死にたくてもしねないからこうして生きているのだ。

 

早く海外に出たいのだが神様がそうさせてくれるまで待つしかなさそうだ。

 

つらい修業は続くのだ。