人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

人生がつまらないことを恥じない勇気

人生がつまらないと思っている我が同志は日本国内にたくさんいることであろう。

 

今日は仕事が休みであり、何も予定がなかったのでいつも通り一人でぶらぶらと「適当に」過ごしていたらあっという間に夕方になってしまい「人生がつまらない」という事実に泣きそうになったが、「それは当たり前」だと思いなおして危機を乗り越えた。

 

人生がつまらないと思ったり、感じたりすることはよくあることだが、最近それを恥じてはならないと思うようになった。

 

なぜなら、人生がつまらないのは「当たり前のこと」だからである。

 

生きている人間の多くが「人生がつまらない」と思いながら毎日を生きているのだ。

 

人生がつまらないことは「恥じること」ではなく、「胸を張るべきこと」である。

 

例え、人生につまらないと感じる時間が長く続いてもそれを思い悩むことはナンセンスだ。

 

人生がつまらないことこそ人生の本質そのものである。

 

それを忘れてはいけないと思う。

 

日本人は暇な時間を持て余すことに耐えられない人種である。

 

暇つぶしを考え出すことが得意であり、暇をできるだけつぶすために忙しくすることでごまかそうとすることが好きな人種である。

 

しかしこれは「人生が本当は暇でつまらない」という現実から目を背けようとする現実逃避的な側面からの行動である。

 

多くの日本人が敬愛している「仕事」こそまさに人生のつまらなさから逃避するための暇つぶしそのものである。

 

日本人は仕事に励むことで、人生はつまらないという現実から逃げようと必死になっている。

 

しかし、私は世界各地を旅して歩いた。

 

そこで、感じた事は特に発展途上国で顕著であることだが、「人間が生きるということ≒人生はそもそも退屈なものである」という厳然たる事実であった。

 

東南アジアに行き、そこで生活している人達を眺めてみると本当に心の底からそのことがよくわかる。

 

彼らの多くは暇である。

 

有り余る時間のなかで暇を持て余している。

 

しかし、彼らはそれでも生きているし、生きようともがいている。

 

人間の人生の本質とは生きるということだけだ。

 

死なないで生きていること以外は何をやってもたいした意味はない。

 

生きていることだけに意味があるのだ。

 

日本人は暇な状態に対して耐えられない人が多すぎるのだ。

 

もっともっと人生に暇を持て余して適当に過ごしても良いのだ。

 

目に見えない幽霊のような「将来」という敵に対して怯え、せっせと働き貯金することばかりに気をとられる必要はないのだ。

 

もっとおおらかに毎日を適当に生きていいのだ。暇であるという事実に怯えるな。

 

人間はどう生きてもいつか必ず死ぬ。どんなにあくせく働いても何もしないでぼーっとしていても必ず時期がくれば死ぬようになっている。

 

私は「将来の為に貯金するべき」という日本人的な世俗的な価値観が本当に大嫌いだから一切の貯金を禁じる努力をしている。

 

貯金などしてもどうせ死んでしまう。

 

お金をけちったり、貯めたり、節約したりすることで少しでも「(お金を)

人生を)儲けよう」とする価値観が大嫌いだからそれに反することならどんな努力でもしたいと考えている。

 

今の為にのみ生き、今を楽しく生き、暇な人生をそのまま噛みしめ、退屈だと思いながらそれを当たり前のこととして胸を張って死んでいきたい。

 

日本人の世俗的な価値観=「できるだけ時間やお金を儲けよう」という意識からできるだけ離れ、ふらっと生きて、ふらっと死ぬことだけが私の目標である。