人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

相変わらず人生は糞つまらないですが・・

毎日つまらない人生が続いています。

自宅で使っていたノートパソコンがぶっ壊れたので仕方なくネット通販にてノートpcを購入。

5万6千円の出費は痛い。

5万6千円あればタイやインドネシア往復航空券が買えるのだ。

なるべく人生において金をけちるのは避けたい。

ただ、旅の費用だけは確保しておきたい。

私にとってこの人生は旅のためにあるのだ。

海外一人旅にでれないのはかなりの苦痛である。

だから次回も迷わず海外に渡航していく。

それにしても人生って本当になんだろう?と思うことの連続である。

何をやっても楽しくない。

数日前トレーニングジムに行き、ランニング、筋トレを頑張ったらその反動なのか身体が極度に疲労し、だるさが来てたまらなくなった。

筋肉痛とかなら筋トレのせいかなと思うのだが筋肉痛はなくてとにかく身体全体がだるくてたまらないという症状で意味不明だった。

私の身体はやたらと弱くできていて敏感で繊細なのかちょっとでも何かを頑張るとその反動が凄く強く帰ってくるので下手なことは何もできない。

下手なことはできないというよりもしないほうが良いと言うべきかもしれない。

とにかく昨日、一昨日と身体が非常にだるかったから今日はひたすら寝ていた。

そしたらかなり回復したので一過性の疲労だったのだろう。

肝炎とかなんか変な病気ではなくて安心した。

いつ死んでも良いとでかいことを豪語しながらも結局は健康第一というところが私の人生の最大の矛盾である。

本当に考えれば考えるほど人生の意味がわからなくなってくるのはどうしたことか?

人生全般の意味がわからないのではなく、私自身がどう生きたら良いのかわからないのだ。

これが非常に大きな問題である。

人間全般の生きる意味では子孫つまり遺伝子の繁栄と発展だろう。

しかし、個という単位、私という単位で見ると途端に意味がわからなくなる。

私自身は別に生きたくないのだが私の遺伝子が生きるように身体に働きかけている。

ヨーロッパにシリアやアフリカの難民が押し寄せて大変なことになっているのだがこれも致し方ないことである。

皆、生きたいのだ。簡単に死ねないから故郷を捨ててまで他国に救援を求めるのだ。

私は以前からUNHCR国連難民高等弁務官事務所)の会員であり、毎月1000円寄付している。

毎月わずか1000円しか寄付してない時点でけちだし、でかいことは何も言えないのだができるだけ難民の方がよりよく生きられるようなお手伝いをしたいと思っている。

私にはどうにも難民問題が他人事には思えない。

確かに日本で生きる私にとってはそんなに近い問題ではないが結局のところ偶然がなせる業であり、自分が間違って(と言うと失礼だが)シリアやソマリアスーダンアフガニスタンに生まれてこれば大きな問題だったに違いない。

人は生まれる場所も親も自分自身も何も選べずただ与えらえたものとしてそこに自分が放り込まれる形で生まれてくる。

私は私に生まれてきたことで結構大変な人生を歩んだと思っている。

別に客観的に見たら何もたいした苦労などしていないのかもしれないが、主観的には

苦しみの連続であったと思う。

主観的な苦しさだけでも大変な人生だったのにそれにさらに客観的に苦しんでいる難民の人達は本当に大変だろうと思っている。

だからわずかばかりのお金を寄付させてもらっている。

もう少しお金に都合が付けば寄付額を増やしたいと思う。

それにしても前からずっとずっと思っていたことなのだが日本の雨はなんと性質が悪いのだろう。

東南アジアなどに雨期に行くとスコールが来るがスコールというのはもっとはるかに一時的な雨であり、危険が少ない。

確かに一時的にバケツをひっくり返したような激しい雨が数時間続くが日本みたいに一日中とか数日に渡って降り続くなんてことはまずない。

そういう意味で日本の雨ははるかに性質が悪く、今回のような堤防の決壊と治水害を招いたのだ。

今回の水害でまた募金活動などが広く行われていくだろうが私はその件については他の良心的な日本人にお任せし、難民問題への支援を優先していきたいと思っている。

 

何事も役割分担が肝心なのだ。