ついに禁断の記事を書くことになってしまったようだ。
今の職場にいるありがた迷惑な男≒うざい男についてである。
この男について私はしばらく良い人なんだと思い込もうと必死であった。
あの人は人がいいからついつい気を遣って色々気を回してくれているんだとか決して悪気があるわけではないのだからとか肯定的にとらえようと必死だったのである。
しかし、やはりその努力も限界にきてしまった。
ここで禁断の言葉を使わざるを得ない。
それはあの男がうざい男であるということだ。
今まで、ありがた迷惑な男だとは思っていた。
これはぎりぎりの解釈である。
ありがた迷惑という言葉を使えばぎりぎりのところで「人がいいんだけど、度が過ぎることがある」という意味でも用いられる。
そういう風によくとらえようと必死になり、嫌いにならないように自分で自分に圧力をかけていた。
でも、今日一緒に仕事で組んでみて心の底から「この男はウザい」と思った。
よくよく考えてみるとありがた迷惑とうざいの線引きは難しい。
ありがた迷惑はうざいとほぼ同義と考えてよいくらいだ。
たまにありがた迷惑なことをされるだけならまだ「うざい」までは達しないのかもしれない。
「ありがた迷惑」が頻回に達すると「うざく」なるのだ。
職場の同僚男性は私の中で一線を越えてしまった。
世の中には気配り上手なうざくない人もたくさんいるものだ。
私の職場にも本当に気が利く有難い存在がいる。
そういう「気配り上手」で助かる同僚と「ありがた迷惑でうざい」同僚とを比較したときにどう違うのかを色々考えてみた。
そうすると、不思議なことに奇妙な一致点が見つかるのだ。
それは、後味の問題である。
「気配り上手」な同僚と一緒に組んだ後に残る気持ちは爽快で、誠に後味が良い。
仕事が終わった後もとにかく気分がよくスッキリしている。
この感覚には普遍性があることに気付いた。
何人かの気配り上手な同僚と仕事をするといつもいつも後味が良い。
ところが、ありがた迷惑なうざい同僚と働いた後に残る気持ちはなんとも言えない後味の良くない、いやーーな感覚だ。
いや、確かに彼も色々と気を遣ってくれて真面目に働いてくれている。
気配りもそれなりに必死にやってくれている。
しかし、何かが違う。
この違和感はいったい何なのだ?
それをずっと考えていたのだった。
この違和感の正体を掴もうと必死になっているうちに何度も何度も自己嫌悪に陥った。
相手の悪い部分を探そうと必死になり、自分を守ろうとする自分の弱さだったり、自分を棚上げして他人を攻めようとする卑怯な自分の醜さだったり。
でも、よくよく考えてみるとこの後味の悪さとか嫌な感覚をもたらすのはいつも彼(ありがた迷惑な同僚)であり、決して他の(気配り上手な)同僚ではないことに行きつく。
そうである以上、決して私だけに原因があるはずだとも思えない。
そういう観点から徹底的にこの違和感と後味の悪さについて探求し、原因を突き止め今後の対応を考えなければいけないと考えたのである。
そうして悩みぬいた末に思った・・「やはり彼はうざい男だった」のだ。
まずはそれを認めなければならない。
事実誤認をしてはいけない。
正面切って彼の存在を自分の認識のどこか納得のできるところに位置付ける必要がある。
そうしない限り、このもやもやした嫌な気持ちに決着がつかないであろう。
そうだ、「彼はうざい奴」だと認めよう。
そうすればすべてがクリアに解決するのだ。
そうした中で、彼の言動を振り返ってみると確かに非常に「うざい」のである。
一言でいうと、他人を必死に気遣っているようでいて本当は「自分のことしか考えていない」のだ。
結局は自分の心を最優先に考えて、それを我慢しないで他人に押しつける部分があるからこそ、私は「うざく」感じているのである。
今までは「ありがた迷惑」だと良心的に解釈しようと頑張ってきたがもう今日からはこうした解釈はやめて「うざい」と捉えることにする。
なぜなら、精神的に疲れるからだ。
そして、あの「うざさ」の正体を探りたい。
なぜあの同僚男性はあれだけ後味が悪く、うざい感じがするのか?である。
結局、それは彼の心に余裕がないからなのだ。
彼は非常にまじめで仕事熱心であり、一種の潔癖症であり、わずかな完璧主義的な部分がある。
まあ、そこまでは良い。
さらに非常にキャパシティーが狭くてすぐにいっぱいいっぱいになってしまって焦ってしまう。
この焦りを解決するために焦って他人にありがた迷惑なことをして処理している。
だから他人がそれを不快に感じる。
ただそれだけのことなのである。
私はこうしたありがた迷惑というかうざい同僚などを見るとどうにもその事実を当人につきつけたくてたまらないという底意地の悪い性格をしている。
今回もどうにも当人へのイライラがとまらず、彼に対して言葉を尽くして「あなたがしていることは他人から見るとうざい」ことなのだと伝えたくなっている。
もちろん、それは彼を傷つけることになるだろうから直接伝えることはしないが何らかの形で彼には「自分がしていることのうざさ」を自分で感じてもらえたらと思っている。
このように文章に書いてみて私はとてもスッキリしているのだ。
なぜなら、文章を書くことで私は彼に対して復讐をしたからである。
これは私の彼に対する静かなる抗議である。
私だけではなく他の同僚も同じように感じている人がいるだろうから仲間のぶんまで含めた復讐である。
やはり、彼には考え直していただきたいと思っている。
自分の気持ちを処理するために他人に対してありがた迷惑な行為を親切のふりをして決行することがどれほど他人に対して後味の悪い嫌な気持ちを残すかについてもっと想像を巡らせてほしいと思っている。
こう書いている間も彼へのイライラが凄く湧き上がってくるのだ。
このイライラはどうにもやはり納得ができない。
彼を受け入れようと必死になればなるほど彼が嫌いになっていく自分がいる。
やはり、彼はいい人ではない。
まずはそれを受け入れなければいけない。
いい人のふりをしているから余計に性質が悪い。
うーーむ、それにしても思い出せば出すほどむかむかしてくる感情がとまらない。
これは精神衛生上よろしくない。
ただ、私は今日から変わることにした。
私は文章にすることで彼への復讐に成功したのだ。