人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

人生がつまらないと言う普遍的な感情

今日は天気が良くて良い日だ。

こういう日に休日だと得した気分になる。

人生が死ぬほどつまらなくても許せる気分になる。

外に出て散歩しているだけでも少しだけ幸せな気分になれる。

しかし、人生全体を覆う異様なつまらなさは変わりがない。

なぜにこんなに人生がつまらないのか?無意味に感じてしまうのか?わからない。

人生がつまらないもの、意味がないものと感じている人間は世界にどれだけいるのか?

そういう人達を集めて「人生がつまらないことについて話し合う会」でも作り、定期的に話し合いをしたら楽しくなるかもしれない。

いかに人生がつまらないか?阿保らしいか?生きる意味がないのか?くだらないか?を糞真面目に討論するのだ。

人生があまりにも無意味だからこそそれから逃げようとせずに徹底的に向き合う。

このことは私にとって意味がありそうなことだと思っている。

でも、プライベートで人と会うのは面倒くさいと思うタイプなので結局途中からその集まり自体が苦痛でつまらないものになってくると思う。

私は結局のところ極度の面倒くさがりなのだ。

その性格も災いして余計に人生をつまらなくさせているのかもしれない。

でも、常日頃人生がたいそうつまらなく思っているせいで海外に出て非日常を感じるとたまらなく楽しく感じてしまう自分がいる。

こういう能動的でアクティブな自分は好きだ。

自分の99%は嫌いだけど1%くらいは好きな部分もある。

私は今、サーフィンをやりたいと思っている。

でも日本ではやりたくない。

やるなら海外に出た時に海外の海で楽しみたい。

日本国内では何をやっても日常の延長としてしかとらえられないから全然リフレッシュにならないしリラックスできないのがはっきりとわかる。

しかも、日本で一人でやっても楽しくなさそう。

と言って仲間を作るのも面倒くさい。

それにボードを買うのは金がかかる。

持ち運びや管理も面倒くさい。

しかも日本には四季の変化がある。

寒いのが大嫌いな自分は夏の短い期間に楽しむだけになる。

冬の海に入るのなんてぞっとするほど嫌である。

もうこうなったら常夏の国に移住して有り余ったお金とともに働かずにサーフィンをして暮らしたい。

でもそれもやり始めたらすぐにつまらなくなって飽きるだろう。

人間とはそういう生き物だ。

不思議なことに人間とは嫌なことも時々やりたいと思う本能みたいなのがあるらしい。

楽しいことばかりやっていると飽きてつまらなくなり、嫌なこともやりたくなるのだ。

例えば仕事をしばらくしていないとやりたくなる。

これはいくつかの長旅を経験した自分が本能的に感じた不思議な感情だ。

かといってもちろんだが仕事ばかりしているのはもっと退屈でつまらないし疲れる。

そのバランスをとるのは至難の技だ。

なぜならどこかの職場で働くとはほぼ毎日そこに通って似たような仕事を続けることを意味するからである。

これがたまらなくつまらないが働くとはそういうことだ。

自営業なり自由業なりが得意な人はそうすればいいが、残念ながら自分にはそうした仕事には向いていないので会社員をやるしかない。

そうするとだいたい同じ場所でだいたい同じことを繰り返す日々になり人生はたいそうつまらないものになる。

人生がどうつまらないかをもっともっと皆で議論したいと思っている。

しかし、なかなか周りの人間は本音をあかそうとしない。

実はすぐ近くの人間は本当は人生がつまらなくてたまらないと思っているに違いないのだ。

私はこの部分に確信を持っている。

人生がつまらないからこそ色々な暇つぶしに励んでいるのだから。

人生そのものがたまらなく楽しいのなら何もやる必要がない。

つまらないから暇つぶしに励む。

人間とはなんと矛盾した生き物なんだろう。

っていうか私の人生丸ごとどこかに吹っ飛んでくれたらいいのに。

今日を生きること自体が面倒くさいしつまらない。

とりたてて明日に希望を抱いていないし今日で人生が吹き飛んで終わってくれても一向に構わない。

ただ痛い思いや苦しい思いはしたくない。

なんと私は贅沢な人間なんだろう。

そういう贅沢ばかり願うから結局今日も生きてしまうのだろうな。