人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

究極の選択

先ほど、車を運転しながらくだらないけど本質的な「究極の選択」について思いを巡らせていた。

①病気の進行が末期で余命が2~3日しかないが数千万から数億円の預貯金がある状態。ただ、人生の多くの時間を貯金にまわし、やりたいことは我慢してきた人生。

②借金はないが全財産が残り1000円しかない状態。50歳くらいで30年くらいは健康的に生きられそうな状態

上記の二者択一となったら自分はどちらを取るのか?となった場合とても難しい選択だなと考えていた。

多くの人は手元の残金が1000円しかなくても健康で残り30年近くは生きられる状態を選ぶのではないだろうか?

いくら預貯金が数千万円から数億円あって自由に欲しいものを買える状態でも残り2~3日しか生きられないないなら何の意味もない気がする。

そう考えるとお金の力なんぞ死ぬことに比べるととても小さいことのような気がしてくる。

しかし、人生の勝負がほぼついてしまった50歳前後で手元に1000円くらいしかない状態で残りの枯れていく人生を生きる状態におかれるのも同じく虚しい気がしてくる。

まだ、20歳ごろに戻れるのなら所持金1000円であっても私は喜んでやり直したい気もする。

ただ、どちらにせよ結局生きるのは面倒くさいし大変だし、苦しいことを考えると30年健康で生きられることが保障されたとしても数日で死ねることが確実な状態のほうがありがたみがある気もしてくる。

この選択は究極の選択だ。

どちらを選んだとしても虚しい。

お金が有り余っていて自由に使える状態で余命数日と、お金は全然ないが健康で平均寿命まで30年くらい残されている状態。

考えれば考えるほどどっちも面倒くさいしどちらを選ぶのも嫌だ。

人生は苦しいということを前提にすると30年生きられるよりも数日で死ねる方がありがたい気がする。

ここで第3の選択肢を考えてみた。

③余命2~3日で所持金1000円しかない。しかしやりたいことはほぼやってきて人生に満足しており後悔はないという状態。

この第3の選択肢が私は一番ましだと思う。

あと数日の余命で所持金1000円なんて快晴の青空を見る気がして実に清々しい感じがする。

しかもお金はどんどん使ってやりたいことをやってきたから人生に悔いがないなんて最高だ。

しかし、これもよく考えてみると虚しいことに変わりはない。

結局死んでしまうではないか。

死ぬことに変わりはないではないか?という思いに駆られる。

ここでもう一つの選択肢を投入してみた。

④20代で健康そのもの、預貯金も数億円あり、お金は使い放題だがちょっとした間違いを犯して人を殺してしまい刑務所に入っている。残りの刑期が少なくとも30年あるという状態。

私は④だけは選びたくない。

お金がどんなにたくさんあって健康で若くても30年刑務所に入るくらいなら数日で死んだ方がはるかにましである。

数か月や数年刑務所に入ると考えただけでも発狂すること確実なほどなのに30年なんて想像を絶するほど無理。

多分、自殺するだろう。

そうやって色々な場合を仮定して人生を考えてみたけど結局どういう状態も受け入れ難い。

お金の問題でもない。

今の状態はまだましな状態なのでこの状態を維持できるように頑張るしかなさそうだ。