世界一周している人のブログを読んでいて特に面白いのはインドの記事である。
世界一周する人達がほぼ全員訪れるのがインドである。
むしろ、インドを外した世界一周など認められないと言ってもいいほど、重要な場所である。
インドという国はすべてがそのままである。
日本のような先進国では汚いものは排除され、綺麗なものが尊重される。
本当は汚いものと綺麗なものが同じだけ存在しているのが地球の姿であるが、汚いものを片付け、整理し、隅に追いやって目につかないようにし、一見すると美しいものだけが存在しているように見せかけているのが日本含めた先進国の姿である。
しかし、インドでは汚いものが片付けられずそのままさらされている。
排泄物、ゴミ、野良牛、野良犬、野良猿、カラス、ヤギなどありとあらゆる動物が共存し、糞便をまき散らし、道路は汚染されている。
人間の醜い感情やエゴもそのまま表出されている。
人間同士がエゴを丸出しにしながら先を急ぎ、人を押しやり、騙して旅人から金をかすめとろうとし、時にはレイプ事件なども起こる。
ホームレスや路上生活者もそのまま路上に放置されている。
日本に住んでいると時々汚いものなど存在していないかのような錯覚に陥ることがある。
ありとあらゆる汚いものはすぐに処理され、片付けられ、見えないところに運ばれ、存在自体が消滅して形を変えていく。
人間の感情も理性によって処理され、人同士がぶつからないように配慮され、全てがスムーズに運ぶように計画されているかのようだ。
しかし、人間が生きることとは本来大変に汚いことなのだ。
時にはその汚さを真摯に見つめなければいけないだろう。
生きていく上で必ず出される排泄物やゴミしかり、エゴや憎しみやイライラ、腹立たしさなどの醜い感情しかり。
こうした汚いもの全てを含んだ存在が人間存在であり、インドに行くとその本来のあるがままの汚い人間の姿を再度知ることができる。
日本にいて普通に食事をすれば食中毒や食あたりに合うことはほとんどないが、インドに行くと毎食毎食食中毒や食あたりの恐怖との闘いである。
食べるということは喜びでもあるが見えない敵との闘いなのだ。
私がインド再訪をためらうのはあの苛烈な下痢が恐ろしいからである。
お尻の穴からおしっこが出ているような感じでの激しい下痢が絶え間なく続く恐怖と苦しさに耐えながらの旅は過酷だ。
そこまでして旅をする必要があるのかすらわからなくなる。
インドは人生が修行であることを教えてくれる過酷な大地だ。