もうこれ以上生きていたくないと思うことがある。
しかし、こう思ってもなぜか死なずに生きているという現実がある。
人間とは生きるのがほとほと嫌になりながらも簡単に死ねない生き物だ。
生きているのがなぜ嫌なのかということを深く考えてみると結局のところ面倒くさいというところにいきつく。
生きているということは面倒くさいことをし続けることと言い換えてもいいかもしれない。
なぜ生きるのがこんなに面倒くさいのかよくわからない。
これは、生きている限りつきまとう問題である。
例え大金を手に入れて仕事をしなくても余裕で生きていける状態であったとしてもやはり生きることに伴う面倒くささは全く回避できなだろう。
自分の身体の状態が常に完璧な人というのももしかしたらまれにはいるかもしれないがほとんどの人は何か身体に欠陥や問題を抱えていたりするだろうし、必ずしも自分のことが好きではないだろうし、色々なコンプレックスや劣等感やらを持ちながら生きているのだろう。
これが人生を面倒くさくさせているのである。
こういう複雑な己の身体を抱えたまま仕事をしなければいけないし、家族や友達と付き合わなければいけないし、諸々の諸活動をして自分の命を支える活動をしなければいけないのだ。
仕事の片手間で食べて寝て排泄して趣味や余暇をして人と付き合う。
本当に面倒くさいことこのうえないではないか?
とっと死ぬことができたらどれだけ素晴らしいことだろうと思うがそうはいかないのが現実である。
生きている限り修行し続けなければいけない。
耐えず何かしらの悩みや苦しみが私を襲ってくる。
それに敢然と立ち向かい続けることが修行である。
自分を放り出したくなっても放り出せないのだから耐えるしか方法はないのだ。
逃げようとしても問題は追いかけてくる。
原理的に自分はどこまでいっても自分でしかないのだから問題を捨て去ることは生きている限りできないだろう。
ひたすら自分と向き合い悩み苦しみ行動して解決していくしかない。
だから人生は苦しいのだ。
しかし、この世のすべての人は生きている限りそれに耐えているのだ。
たから人間は尊いのだと思うし、他人を思いやらなければいけないと思うし、基本的な人権を普遍的に尊重しなければいけないのだろう。
昨夜はビールを飲んで酔っ払って寝たが今日も飲み会だ。
飲んで全てを忘れて寝るのだ。
今の私にはそれしかない。
その代わり日中は修行だ。
頑張ろう。