昨日の夕食は某チェーン系のお店でラーメン。
味付け卵をトッピングしサイドメニューで餃子と唐揚げを追加して食べる。
これが絶望的に旨い。
日本のラーメン、餃子、唐揚げはなんであんなに美味しいのか。
思わずビールを飲みたくなるが我慢する。
同じラーメンでも中国本土の人がやっているお店だとどうにも味が落ちるのは否めない。
やはり食文化が日本と中国とでだいぶ違うのだ。
唐揚げ一つとっても日本の唐揚げは使っている油もいいし揚げ方や塩加減が抜群で揚げたては柔らかくて美味しい。
しかし、中国のお店だと???がつくことが多い。
別に中国を揶揄するわけではないけど。
日本人の仕事は細かく繊細でかゆいところに手が届くんだよね。
中国の場合粗っぽさが目立つ。
工業製品もそうなんだけどラーメンや唐揚げなどを食べ比べてみても国民性みたいなものがはっきりとわかる。
結局のところ一人の人間の人生の幸福なんてこういうちっぽけ?な喜びの積み重ねなんだろうな。
美味しいものを食べて「旨い」と叫びたくなったりとか。
昨日の夜の夢でなんだか知らないけど今までの人生を走馬灯のように振り返っていた。
なんか本当に色々あったけどまずまず良い人生だったのではないか?と結論した。
こうやって数十年過ぎてみて何が思い出として強烈に残るのか?というところでその人の個性が出るんだと思う。
私の場合、他人と一緒に遊んだり楽しんだりした思い出や部活やクラブの思い出ももちろんあるにはあるがそれが中心にくることは不思議に全然ない。
これまでも何回も書いているとおり、海外一人旅での幸せな時間が強烈に強く心に残ってしまう。
それだけ、自分は一人で旅をするのが好きだし海外で異文化に触れながら吸う空気が好きなのだ。
そして、これらを総合して自分が形成されているのだと言える。
もちろん、これが私と真逆の人がいて全然いいのだ。
旅の思い出より仲間と過ごした思い出や仕事の思い出が強い人がいても全然いい。
私の場合仕事というものは確かに日常生活の中で強烈な位置づけを持っているけどどれもこれも思い出としてはとても小さな位置づけしかない。
人生を振り返ってみると仕事の思い出や職場仲間との思い出がぱっと浮かんでくることはほぼ絶対ないのだ。
不思議なものだ。仕事にも人並み以上に思い出はあるはずなのに。
結局仕事自体が基本的に好きではないから脳が記憶から消す働きを自然としているのかもしれない。
さて、今日という日は記憶に残ることが一つでもあるのだろうか?
どちらでもいい気がする。
結局人間の人生で記憶して保存した上ですぐにピックアップできるような位置にある記憶などYAHOOニュースのトピックのように限りがあるのだ。
別に何をしたからどうということもない。