口に出さないが心の中では「別に明日がこなくても良い」と思いながら生きている人は世の中に結構たくさんいるものだ。
そんな私も確実にその一人である。
「今日が人生最後の日で良い」と思っているし、夜寝る前に「このまま目が覚めずにあの世に逝けたら幸せだ」と思っている。
しかし、世の中こう思っていても現実的にちまちまとした人生を繰り返す人がほとんどである。
かく言う私もその一人である。
例えば「老後の為に少しはお金を貯めておこう」とか「嫌われたくないから職場では意見をできるだけ言わないようにしょう」とか「仕事に行きたくないけどさぼるとその後が面倒くさいからとりあえず行こう」とか。
しかし、こうした考えはよくよく考えると「明日が来なくても良い」という考えと若干矛盾する。
本気で「明日が来なくても良い」とか「寝たまま目が覚めなくても良い」と思っているのなら別に老後の為に貯金しなくても職場で他人から嫌われても良いはずである。
人間というものはなかなか思ったことを行動に移せないものである。
だから結局、毎日をちまちまと生きることになるのだ。
こういう人生は本当に虚しいと思う。
別に私が100歳まで生きても生きなくても職場を辞めても辞めなくても現実的には誰も困らないのだ。
いずれにせよ我々人類の寿命は長くても100歳前後なわけだから近い将来みんな死んでいく運命にあるのだ。
そうわかっていても今すぐ死ぬことに抵抗はあるし、まだ何かをやりたい気がするし、やり残したことがある気がするし、他人に嫌われるのは嫌だし、少しでも貯金が増えると嬉しいのだ。
私は人生を自由に生きてきたと自負しているし、やりたいこともほぼすべてやってきたし、特にこの先やりたいこともないし、面倒くさい仕事に耐えて同じような毎日を繰り返していくのも馬鹿らしいと思っているので本当に今日にでも眠るように死ねたら最高に幸せだなと思っているがこれがなかなか思っているだけで実現しないのである。
しかし、いつか絶対に終わりが来ることだろう。
永遠の眠りがどこかのタイミングで絶対に訪れるはずである。
その時には持ち金ゼロでいたいなと強く思っている。
自分のお金を全て使い果たして死んでいくなんて最高に綺麗な死に方だと思う。
お金を余らせて死んでいくのは馬鹿らしいし、かと言って借金を残して死んでいくのも気が引ける。
最後の最後には手元の金を全て使い果たして所持金を100円以内にできたら最高だなと思う。
自分は結婚もしていないし、子供もいないので後に残すべき資産など全くないので自分が死んだらそこで全て終わりである。
これはちょっと考えただけで(私にとっては)大変素晴らしい状態だ。
ビールで言うと「スーパードライ」みたいなもので後味がとてもスッキリとキレル感覚である。
私が一番好きなビールはKIRINの「一番搾り」であるが、ASAHIの「スーパードライ」も実に優れたビールだと思っている。
「一番搾り」の場合、ビール特有の苦みが舌に程よく残ってくる感覚があるけど,KIRINの「LAGER BEER」ほど苦くなくて私にはちょうど良いのだ。
「SUPER DRY」の場合少しサッパリとキレすぎる感があって若干物足りなくもない。
ただ両方とも美味しいビールであることは間違いない。
最近、私はビールばかり飲んでいるのだ。
ちょっと前までビールは苦手であまり飲まなかったのだが最近はアルコールと言えばビールばかりである。
酔い方としてもビールで酔うのが一番気持ち良い。
まあここら辺は結局個人の嗜好の問題だろう。
ワインが好きな人がいれば日本酒が好きな人がいれば、焼酎が好きな人がいれば酎ハイやサワーが好きな人がいれば、梅酒が好きな人がいれば、ビールが好きな人もいるということである。
実は私はアルコールは基本的に全て好きなのだ。
焼酎は若干苦手だが飲めなくもない。
話がそれたので元に戻そう。
確かに私はビールが好きで週に2回位は飲んでいるけどだからと言ってそれを楽しみに後何十年も生きていたいかというと全然そんなこともなく本当にいつ死んでもいいのだ。
ただ、死ぬにあたって痛い思いはあまりしたくないし、苦しみたくもないのでとりあえず生きているというだけである。
安楽死できる薬が手に入ればいつでもすぐ死んでいいのだ。
そう思っているからこそお金を貯めずにできるだけ使おうと思っているのである。
大好きな海外一人旅もその一環である。
私にとって旅とは悔いなき人生のための準備でありその帰結なのだ。
東京に行って腐るほどある居酒屋のどこかに入り一人しんみりと飲む酒は最高に旨い。
海外では基本的にアルコールはほとんど全く飲まないけど海外にいると雰囲気で自然に酔えてしまうからアルコールは必要がないのだ。
私は基本的に一人でいることが大好きな人間なのだ。
気の合う仲間とワイワイやりながら飲む酒や食事も確かに美味しいが、たった一人でお店に入りしんみりと飲む酒や食べる食事も最高に旨い。
次に生まれ変わったらどんな人生をやりたいか?と考えたりもする。
結局どの人生をやっても面倒くさいし大変だとも思うけど沢木耕太郎とか小田実みたいな旅をしながらそれを文章にして本を書いて生きていく人生もいいなと思う。
中田英寿のように自分のやりたいことをやって生きていく人生もありだ。
そう考えると「死」とは端的に「希望」なのだと思う。
自分という1つの可能性的生命体が消滅する。
しかし、その代わりにまた新たな個性を持った「自分」がゼロから産まれてくる。
そこでまた新しいドラマが始まるのだ。
「死」とは決して恐れたり忌み嫌ったりすべきことではないと思う。
そこに希望を託しても良いのだ。
人間の人生は出会いと別れの繰り返しだがこれはつらく悲しいことでありながら新たな希望や楽しみでもある。
自分の人生も平均寿命的に考えると後残り50年である。
ここに私は希望を抱いているのだ。