私は正真正銘の駄目人間である。
生まれつき頭は良くないし、性格は悪いし、気力や体力もないし、顔もぱっとしないし、太りやすいし、性格が暗いし、無愛想だし、そのくせプライドが高いし、これといった特技もない。
こういう自分でもなぜかふと数十年前に産まれてきて今日までなんだかんだ生きてきたことが奇跡である。
私は自分自身が大嫌いで、安楽死できるなら今すぐ死にたいと思っているがこれまたどういうわけか実現しない。
こういうマイナス思考な人間というのは世間的に評価されるどころか忌み嫌われ、距離を置かれることの方が多いと思うがこれが私なのだから致し方ない。
世の中、駄目な人がいてもいいじゃないか!マイナス思考な人がいてもいいじゃないか!と開き直る。
別に世の中の人全員が明るくプラス思考で、未来に希望を持って明るく生きている必要はない。
というか自分にはそういう生き方ができないんだよね。
あまりにも、自分の身体がどうしようもなくてもう全てを放り投げざるを得ない状態である。
人生をもう一度やり直せるならもっといい遺伝子を持ってやり直したい。
しかし、こんな駄目人間でも生きているという事実。
ここに何か意味がありそうだ。
世の中には凄い人がたくさんいる。
凄くなくても普通に尊敬できたり、特技があったり、良いところがいっぱいあったりする人がたくさんいる。
しかし、自分にはない。
それも致し方ないことだ。
才能や能力があったり、希望があったりしてもあっけなく早死にすることもあれば、何にもできない自分みたいな人もしぶとくこの世に生きている。
本当に全てがわけのわからないことの連続だ。
「人に迷惑をかけてはいけない」と言うけれど、生きていれば誰かしら他人に迷惑を掛けざるを得ないのではないか?
人に迷惑をかけたくなくても自分の持つ様々な先天的な要因で失敗を犯して迷惑をかけてしまうこともあるし、犯罪という形で罪を犯すこともある。
私は全てが致し方ないことだと思ってしまう。
今回の大惨事を生んだバス事故についても確かにバスの運転手やバス会社の過失で14人もの尊い命が犠牲になってしまったのは事実だが、私自身はどうにも運転手やバス会社を責めることができない。
生きるということは不幸なことの連続なんだと思う。
思うようにいかないことは当たり前だ。
私自身もすべてが思うようにいかなくてイライラしながら絶望とともにこれまで生きてきたけどこれは自分自身の責任だけではないと思っているし致し方ないと思うしかないのだ。
人間って結局、完璧な存在ではない。
他人に完璧を求めても失敗するし、自分も当然ながら完璧とは程遠い存在なのだ。
生きてるって本当に苦しいことである。
それでも、人間は遺伝子を後世に残し続ける道を選んでしまっている。
これからも色々な悲劇や不幸が繰り返されるだろう。
例え、自分が死んでも他の自分が何かしらの苦しみを負いながら生きていく。
自分にも他人にも期待するな。
自分をよく見せようとしないで、駄目な自分を全て受け入れ、諦めて生きていこう。
こう言い聞かせて今日も過ぎてしまった。