地球に生きているほとんどの人間は「自由」を求めている。
それだけ人間は束縛が嫌いであり、自由が好きだということだ。
私自身も人一倍「自由」が大好きだ。
自分は比較的自由に生きていると思っているし、他人からも自由だねと言われることがある。
確かに思い付きで行動しているし、将来の為に自分を束縛していることもない。
しかし、それらを差し引いても人間存在とは根本的に自由ではないと思う。
それは、私の身体からのメッセージだ。
自由なんて所詮は架空の産物だ。
それは、人間の単なる願いに過ぎない。
私は自分自身のことを大変に不自由な存在だと日々実感しながら生きているが、これはほとんどの人に普遍化できることだと思っている。
どんなに好条件に恵まれ、自由が謳歌できる状況に置かれていたとしても人間存在は自由とはかけ離れた状況に置かれていると思う。
あらゆる意味で制約だらけだと思う。
北朝鮮のような独裁国家に産まれてこなくても日本や欧米諸国のような一般的な意味で自由が保障されている国においても人間が生きていく以上、不自由なことの連続なのだ。
最近は自分の不自由さをより強く痛感するようになったし、自分が「不自由」であることを意識するようになった。
よく、会社員の生活が「社畜」と揶揄され、より自由な生活を求めてフリーな職業を選び、制約の少ない生活をする若者が増えていると言うけどその多くが実際には決して手放しの「自由」な生活を送れていると思っていないのではないだろうか?
かつての奴隷のように鎖に繋がれていることを前提として考えると確かに現代先進国の国民は自由であることは間違いないのだが、最終的には不自由な状態に縛られているのが人間なのだと思う。
そして、それは普通なことなのだ。
片意地はらずに不自由な状態を受け入れて我慢することも人生の一部である。
時折の解放感やちょっとした自由な感覚が日頃の不自由を吹き飛ばしてくれる。
そんな私はタイのサメット島にでも行って、青空と美しい海を眺めながら気ままに自由な一日を過ごしたいと思っている↓
サメット島 Vol.1