人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

人間関係に悩む人は正しいと思いたい

職場の人間関係がウザくてたまらない。

人間関係が良い職場なんてないのかもしれない。

人が複数集まればそこに人間関係が発生し、必ず嫌な思いをするような仕組みがある。

職場においてウザイ人さえいなければ全てがスムーズにいくのだが不思議なことにどこの職場に行っても信じられないくらいウザイ人がいるものだ。

そして、そのウザさというのは過去のウザイ人と比較することが難しい。

それぞれの持つ独特のウザさがあって比較不可能なのだ。

しかし、何といっても今目の前にいる人が最もウザイことは間違いないだろう。

なぜなら彼しか今の自分に影響を及ぼすことができないからだ。

過去にどんなにウザイ上司や同僚に巡り合ったとしても今何の関係もないのならばそれはもうクリアしたモンスターみたいなもので実害はないのである。

ウザイ人はなぜウザいのか?

それはかれらが本来の自分を直視できていないからだ。

彼らの見えている世界ではどういうわけか全て「他人が悪い」ようだ。

産まれたばかりの泣きわめく赤ん坊みたいなもので自分が泣きわめけば他人が助けてくれるとでも思っているらしい。

今日もウザイ人の絡みから逃れるのに必死であった。

彼らに自分を直視する力はないのだ。

自分を直視せずに他人に自分の駄目な部分を投影してその責任を取らせることばかり考えている。

しかも40過ぎのいい大人が毎日毎日職場と言うある意味神聖な場でそんなことをしているから手に負えない。

無人島にでも流して1年くらい完全に一人でサバイバル生活をさせないと駄目なのかもしれない。

無人島では赤ん坊のように泣きわめいていては生きていけないことに気付くだろう。

しかし、また人間社会に戻れば元に戻るのも時間の問題だ。

これは何かの依存症みたいなもので一種の依存的な病気なのだ。

他人依存症とでも呼ぶべきものか。

彼らの負のパワーを身体全体に浴びて明日も仕事で我慢することを誓う。

苦しいけど私が今すべきことはウザイ人にもしっかりと対応できる力を身に着けることだ。

彼らは確かにどうしようもないけど、どうしようもない人ともうまく共存する力を身に着ければ怖いものはない気がするから。

ここはしっかりと踏ん張って彼らのウザさに耐えなければいけないと思っている。

まだまだ修行の道は険しい。