「ニートの歩き方」や「しないことリスト」を書いたphaさんの考え方が大好きだ。
もう自分はほとんどphaさんの教徒みたいになってしまっている。
常に「何かをしなきゃ」と身構えることなく、適当に寝て起きて好きなことを好きなペースでしながらのらりくらりと生きていられたらどれだけ素晴らしいことだろう。
現実的にはなかなかそうできないので意識だけでもそうありたいと思っている。
phaさんはそれをかなりの部分において実行に移しているところが素晴らしい。
普通の駄目な人間は「それでも頑張らなきゃ」とか「そうは言っても生活の為に○○しなきゃ」とかの強迫観念に襲われてアクセク生きてしまうものだ。
この強迫観念から逃れるのは並大抵の意志がないと難しいし、いわゆる普通の真面目な日本人は体質的に厳しいかもしれない。
アルコールが飲めない性質の人間が努力でアルコールを飲めるようにするのと同じで絶望的な限界があるような気がする。
私も強迫観念に悩まされてきた人間で職場に行くと無意識で「頑張らなきゃ」的なシャキシャキ感が出てきてしまって面倒臭く感じている。
こういう人間ほどウザクて迷惑な人間はいないからだ。
この世の全てのことはほどほどが一番良いのだ。
必要以上に頑張るべきことなんて一つもない。
そもそも人間がこの世に生きていること自体が必要なのかどうかすら大変に疑わしい。
とりわけこの自分が生きていることがどれほど重要なのかは大変に疑問である。
そうだとすれば別に取り立てて頑張るべきことなんてないと思う。
働きものの日本人が仕事に対する強迫観念みたいなものを捨ててほどほどにのらりくらりと働くことができるようになったら楽だと思う。
「明日も仕事だ」と憂鬱になるのは「明日も頑張らなければいけない」という無意識のプレッシャーやストレスがあるからなのだ。
自分が頑張らなくても世の中は無事に回っていくし、仮に世の中が無事に回らなくても人間は必ずいつか死ぬのだからなんとかなると思えばいい。
とにかくphaさんのような考え方で私はもっと気楽に生きていたい。
これは自分自身の壁なのだ。
シャキシャキしてしまう自分を捨てて楽になるための戦いなのだ。