人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

家族とか子供とか

家族とか子供とか欲しいと思ったことが全くない。

いや、この言い方は間違いかもしれない。20代の頃にフィリピン、タイ、インドネシアなどの国の女性と結婚して熱帯の国に移住してこの寒い日本を抜け出すことができたら幸せだと本気で思ったことはある。

しかし、どんなことがあろうと子供だけは絶対いらないと固く思っていた。

そして、時が経るごとに子供ばかりか恋人も家族も絶対にいらないと思うようになった。

常夏の国に移住して好きに暮らしたいという思いは少しあるが、結婚したり、子供を作ったり、家族を作るくらいなら独身のままこの寒い日本で窮屈なサラリーマン生活をしているほうが幸せだと思うようになった。

そのくらい、私は人が嫌いだし、家族と過ごすなんてもってのほかである。

これだけ聞くと家庭環境に問題があったのではないか?とか同性愛者なのではないか?とか疑う人もいるかもしれないがどちらも間違いである。

私の家庭環境は信じられないくらい恵まれていたのだ。

中流以上の家庭に産まれ両親や親戚に愛され、兄弟間の仲も別に悪くなく、特にお金に困ることもなく普通に不自由なく暮らしてきた。

恵まれた環境に産まれたからこそ逆に家族や子供がほしくなくなったのか?とも思ったことがあるがこれも間違いである。

世の中には実に色々なタイプの人がいて自分の生まれ育った環境が幸せだったから自分もそうした思いを子供にさせてあげたいと考えて結婚して子供を作る人もいれば、逆にあまりにも家庭環境が恵まれなくてつらかったから幸せな家庭を築きたくて結婚したり子供をもうけたりすることもある。

ただ一つはっきりと言えることは、私には結婚して誰かと共同生活をしたり、子供を育てたり、家族のために尽くしたりする能力は全くといっていいほどなかったということである。

そうした能力に恵まれてこなかったし、別に恵まれたくもなかったのでちょうど良かったと思う。

私は心の底から家族とか家庭とか子供とかいうものが苦手で興味がないし、申し訳ないがそうしたものとは距離を置きたいと思っているのだ。

確かに私は産まれてから高校を卒業して大学で一人暮らしをするまで家に帰れば穏やかな毎日で幸せであった。

そこは素直に親に感謝すべきことだと思うし、私の両親はよく頑張って育ててくれたと思っている。

しかし、自分の心の中を誤魔化さずにに見渡してみるとどうにも素直に感謝することができないでいる。

それは、もっとこうして欲しかったとかこう育てて欲しかったとかそういうことでは全然なくてなんでこんな面倒くさい人生というものをわざわざ与えてくれたんだという憤りである。

私はかなり自由で好き勝手に生きてきた方だと思うし、お金に困らず自由に生きるように面倒を見てくれた親に感謝すべきなのだがどうにもわだかまりが消えない。

そもそもこんな面倒くさい人生というものを人はなんで何度も何度も産まれては死にを繰り返して続けていかなければいけないんだろう?

人生なんてものは最初からなければ誰も何も困らなくて済むのだ。

私は徹底的な合理主義者でもあるから、こういう無駄が心底嫌いなのである。

人生そのものが無駄な浪費である気がしてならない。

確かに人生は修行であり、その苦しみを通して人格を高めていくという側面があるかもしれないがそれにしても馬鹿らしいクソゲーみたいな気がする。

こういう考えに至るのは私が我儘だからなのかもしれないがたとえ我儘な戯言だとしても自分の本心からそう思っている以上、嘘をついて誤魔化したくもない。

この人生と言うゲームはいったん始めてしまうと簡単に止めることができないのだ。

しかも痛んだり、苦しんだり、悩んだりをリアルに毎日肌で感じなければいけないためリスクは大きい。

後ろ向きと言えば後ろ向きな考えであるのは確かだがかと言って自分を偽って、「人生は素晴らしいんだからいつも前を向いて歩こう」とか言いたくない。

これから結婚して子供をもうけたいと思っている人は少しそこら辺を真剣に考えてからでも遅くないと思っている。