インドには「サドゥー」と呼ばれる修行僧がたくさんいる。
サドゥーを特集した本も出版されている。

- 作者: 柴田徹之,草下シンヤ
- 出版社/メーカー: 彩図社
- 発売日: 2008/01/28
- メディア: 単行本
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~WIKIPEDIAより~
サドゥーとは、サンスクリット語、もしくはパーリ語で、ヒンドゥー教におけるヨーガの実践者や放浪する修行者の総称。日本語では「行者」「苦行僧」などの訳語があてられてきた。現在、インド全域とネパールに、400万人から500万人のサドゥーがいるという。
生活[編集]
サドゥーは決まった住所を持たず、各地のヒンドゥー寺院をはじめ、街角や河川敷、村はずれや森の中などあらゆる場所に庵を結んだり野宿したりしながら、さまざまな宗教的実践を行って毎日を過ごす。瞑想を行うものから、極端な禁欲や苦行を自らに課す者も多い。断食や、僅かなバナナだけで山中に籠もる、数十年も片手を高く挙げ続ける、何年も片足立ちを続ける、転がりながらインド大陸を横断する、柱の上で生活するなど、サドゥーの苦行には決まった形式がない。また宗教的瞑想のため、ハシシ(大麻)を吸引する習慣を持つものも少なくない。サドゥーのほとんどは民衆からの喜捨により生活の糧を得ているが、多くのサドゥーが、貧困と飢餓に苦しんでいる。サドゥーは呪術医となったり、村や街の聖者として、各種のお祓いや祈祷、結婚式で新郎新婦を祝福するなどして収入を得る場合もある。家庭内でのもめごとや、悩みごとの相談に応じるものもいる。
~引用終了~
最近自分もサドゥーになりたいと勝手に思っている。
もう人生本気でどうでもいいと思っているからだ。
サドゥーとは基本的に世捨て人だ。
よくよく考えると男の人生なんてある年齢を過ぎればもうどうでもいいものだと思える。
子供を作りたい人は自分の種を提供すればいいし、子育てをしたい人はすればいい。
家族や子供に興味がない人にとっては30歳過ぎたらもう生きる以外やるべきことなんて何もないのだから自然に任せて生きて時期が来たら死んでいけばいい。
仕事で成果をあげようとか出世しようとか地位や名誉とかお金とかどうでもいいんだからそれらの執着を手放せばいい。
この時点でかなりサドゥーに近づくことができる。
1回目のインド訪問時にデリーから電車で4時間くらい北にある「ハリドワール」という街に行って生のサドゥーをたくさん見て感動した。
ハリドワールは業者の街と呼ばれインドでもサドゥーがたくさん集まっているところとして有名である。
彼らは得体の知れない神秘性があって魅力があるのだが実態としては旅行者に物乞いして生きていたりするのが面白い。
通りすがりに「20ルピーくれ」とか言われたりする。
結局は、物乞いをする路上生活者なのだ。
彼らだってなんとかして生きていかなければいけないから必死なのだ。
ドラッグを売って身を立てているサドゥーもいる。
人生の虚しさをこれでもかと思い知っているからこそ現世的な欲望を諦め無執着に生きることを決めて実践しているのだ。
男の人生なんてこれでいいと思っている。
ヴァラナシのガンジス河沿いにできたサドゥーたちのテント村