パリ発エジプト行の航空機が姿を消した。
機体の残骸が海上で発見されたというからテロの可能性が高いとされている。
搭乗者約60人の命は一瞬にして消えてなくなってしまった。
飛行機事故とは残酷なものである。
墜落する時もしくは爆発する時に身体が木っ端みじんに吹っ飛んでしまうという意味でも残酷であるがそれよりも乗客が死に不意打ちされてしまうという事実が残酷なのである。
誰も死ぬと想像して飛行機に乗っていない。
むしろ飛行機の旅とはどこか人の心をワクワクさせる楽しいもののはずである。
飛行機に搭乗し扉がガチャリとしまった瞬間乗客の運命は数時間後の「死」に向かって収束されていく。
搭乗者はまだこれから数年、数十年と自分の人生が続いてくものだと固く信じていたはずである。
ところが飛行機の爆発、墜落などによって無残にもその思いが打ち砕かれ死が突如急に差し迫ってくる。
ってなことをつらつらと書いている自分を振り返る時、この自分自身もまだまだ何年も何十年も生きることになるだろうと漠然と考えていることに気付く。
しかし、そんな私も確実にいずれ死に不意打ちされることになる。
我々は生まれた瞬間に「死」に向かって走り出す。
誰も死ぬことから逃れらない。
この地球上に生きている人で死に損なった人はたくさんいるにせよ、一度死んだ経験がある人はいないから誰もが死ぬことを知らない状態で不安に苛まれながらもそれを気にしないようにして無関心を装って生きている。
運命は自分で切り開くものだと言われるが本当だろうか?
そうだとしてもそれはある限られた一定の期間内のことである。
人生には運命が定まる瞬間というものがあってその瞬間に運命から逃れることができなくなる。
私がこの世に産まれ出た瞬間に死ぬことから逃れることができないし、私が私を放棄して別人になることもできない。
私は私として死ぬまで生きていくしかないのだ。
数時間後に墜落する運命にある飛行機の扉がガチャリとしまり、滑走路を離陸した瞬間に搭乗者の命は無残にもカウントダウンを始めてしまう。
誰もそこから逃れることはできない。
人間の人生とはなんとはかなく悲しいものなんだろう。
誰もが自分だけは違うと信じているがそうではない。
誰も運命から逃れることができないのだ。