毎日のように「早く死にたいなあ」と思いながら嫌々生きている。
高校生の頃、私はやたらと無気力であり、かつ反抗期でもあって両親にやたらと反発していた記憶がある。
その頃父親に「どうせ死ぬんだからさっさと年を取って(死ぬ直前の)老人になりたい」みたいなことを言った。
そしたら父親が「人生はそこに行くまで(死ぬまで)が長いんだぞ」と諭された。
この言葉は事あるごとにふと思い出すのだが、紛れもない真実だと思っている。
確かに人生って死ぬまでが長いのだ・・・やたらに!!
私は早くこの人生を終わらせたいと思っている。
ところがなかなか終わりがこない。
だから毎日がつらいのだよ。
毎日そんなことを思いながら仕事や趣味(旅や読書)やネットサーフィンなどの暇つぶしをしてかろうじて生きながらえている。
私はいまだに両親に対して非常に複雑な気持ちを抱いていることを素直に認めざるをえない。
その1つは両親に対する純粋な感謝の気持ちである。
私の両親は本当に素晴らしい方々で、愛情を持って育ててくれたし、色々な面でお金も時間もかけてくれたし、成長に必要だと思われる色々な経験をさせてくれた。
これ以上ないくらい理想の家庭であり、理想の両親であった。
ここら辺はいわゆる毒親に育てられて不遇な子供時代を過ごした方々とはまるで違う感情を抱いていると思う。
これは素直に感謝すべきことがらであるのは間違いない。
しかし、その一方で「なんでこんな私に産みやがったんだ」という乱暴で荒っぽい感情を持っていることも認めざるを得ない。
そもそも(少なくとも私にとって)人生とは大変に面倒くさい代物である。
時折、こんな面倒くさくて思い通りにならない人生をプレゼントしてくれた親にたまらなく反抗したい気持ちが大暴れするのだ。
「(大切に育ててくれて)ありがとう」
でも
「(産みやがって)馬鹿野郎」
という二つの矛盾した感情が複雑に絡み合いながら不発弾のように眠っていて時折暴れてしまう。
自分の人生が好調な時は「ありがとう」の気持ちが強いし、不調な時は「馬鹿野郎」の気持ちが強い。
人生ってものはとても一筋縄ではいかないもののようだ。
人生とは複雑極まりない難物であると思う。
過去の自分と今の自分もまるで違うし、同じ状態が二度と訪れることはないし、良い時も悪い時も長く続かないし、人生は長く感じられるようであっという間だし、あっという間だとわかっているのにどうにも長く感じてしまう。
私の小学校時代、中学校時代、高校時代、大学時代はいったいどこに消えてしまったんだろう。
私にとって小中学校時代は活発な時代、高校時代は無気力な時代、大学時代は孤独な時代、そして社会人生活10数年を経た今は無気力で孤独な時代である。
20代の頃はもっともっと活発で仕事やプライベートなどに精力的であったがいつの間にか無気力状態に舞い戻ってしまった。
しかし、私は孤独というものが基本的に大好きだからそれで満足している。
無気力だと言っても旅に出ている時はやたらと活発なのだから、結局やりたいことができる環境になれば本領発揮するタイプなんだろう。
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