人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

飲んで食って寝る

昨夜は前の職場の仲良し4人で飲み会。

初めて行った居酒屋だったけどとても綺麗で値段も良心的で料理が美味しくて満足だった。

やはり、気心知れた仲間と飲む酒は美味い。

それにしても、彼らは本当によくやっている。

ブラック企業で独裁者みたいな経営者のもとでアリのように働いている。

まさに、自己犠牲の精神を発揮しているが不満たらたらだ。

しかし、不思議なことにそういう歪んだ職場で自己犠牲を強いられる環境の中にこそダイヤの原石のような人間的な魅力あふれる人が多いものだ。

今の職場は確かに楽ではあり、働く側にとっては良い職場だとは思うがなんだか少し物足りなさはある。

結局のところ自分を満たしてくれる職場なんてこの世にあるはずがないのだ。

そもそも、職場によって自分を満たそうとか考えている時点でダメなのだ。

そういう意味で私は仕事というものに全然向いていない。

私は仕事にも職場にもできるだけエネルギーを注ぎたくないのだから。

職場やその仲間たちのために全力を注いで貢献したくないし、そうする力もエネルギーもない。

今の若い世代は社内で昇進するためにがむしゃらに頑張るというよりも仕事はほどほどにプライベートを大切にしたい人が多いと言われる。

私の中ではそんなことは当たり前以下の話である。

仕事も職場もどうでもいい。

あってもなくてもどちらでもいい存在。

お金儲けにも興味なし。

先日職場の仲良しおばちゃんと話していたら株をやっているようで、是非やってみたら?と勧められたが1秒でお断りした。

株で儲ける・・という発想に興味が沸かない。

っていうか別にお金が増えなくてもいい。

マネーゲームに時間やエネルギーを費やしたくない。

株で儲けて財産が増えるとなんだか幸せな気分になるから勧めるのだろうがどうにも馬鹿らしい。

結局、お金儲けの欲が強い人って不安な人なんだと思う。

持っていないと不安になる。

しかし、私にしてみればまさに今すぐにでも死んで良いと思っているのだから不安も糞もあったもんじゃない。

お金によっていささかも不安が解決されるわけじゃない。

先日、お金持ちの国シンガポールを訪れて思ったことはやはり「金持ちはケチだな」ということ。

何をやってもお金がかかる仕組みになっているのだ。

もちろん、私は旅先としてシンガポールが大好きではある。

しかし、その街並みの美しさと裏腹に色々な面で金に貪欲であり、だからこそ金持ちの国なのだなという印象を持った。

そして、自分はそうなりたくないと思った。

できるだけお金は持たないように、生まれた時と同じ裸の状態でいたいと思っている。

寝たい時に寝て、仕事が嫌なら適当にさぼったり、休んだりしたい。

仕事に命をかけてお金を儲けて欲しいものを買ってということに満足できない。

私の幸せは私が決める。

私の幸せを会社に決められるのは困る。

仕事を通して人生を充実させたい人はそれでいいが、私はそうしたくないしそうできない。

そして、本気でいつ死んでも良いし、後悔もない。

今すぐ誰かに殺されてもいい。

やりたいことはやってきた。

そうか、自分の人生は思い通りになっているのかもしれない。

色々なことを思う。

ただ、未練はないな、この人生に。

友達とはなかなかできないものである。

この世のほとんどの人とは気が合わないようだ。

でも、探してみると本当にツーカーでしゃべれてしまう気心知れた人がいるものでそうした仲間を持つと楽しくなる。

そういう意味で昨夜の飲み会はとても楽しかった。

また、飲みに行きましょう。