人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

嫌われてみよう

日本人って集団の中で自分が嫌われることを好まないし、苦手とする傾向にあるように思う。

常に他人からどう思われるかを気にし、嫌われないように先立って気配りし、目立たないように気を付け、配慮することが好きだ。

アドラー心理学を紹介した「嫌われる勇気」という本がベストセラーになったがこうした日本人の集団主義社会特有の気遣いに疲れている人が多いと思われる。

他人から嫌われる勇気を持つことは非常に重要なことだ。

というか他人から嫌われなければ終わりだと思う。

誰にでもぺこぺこし、顔色を伺ってこびへつらい、誰の悪口も言わず、いつもにこにこ愛想よくすることなんてできっこないし、素晴らしいことでもない。

人間は他者から嫌われてなんぼなのだ。

積極的に嫌なことをして嫌われるという意味ではない。

その発想は論外である。

そうではなくて、自分に忠実に自分らしく生きていたら必ず誰かから嫌われるのは自然であり、それはやましいことでもなんでもないということである。

社会に属して普通に真面目に生きていれば誰かから好かれ、同時に嫌われるのだ。

それを恐れてへこへこするのは本当にみっともないことだと思う。

年寄りに人気な時代劇に「水戸黄門」があるけど、あれって本当におかしな話だと思う。

私は黄門様から印籠を示されても「ははーー」と言って引き下がりはしない。

「は?なに言ってんの?馬鹿なの?」とどや顔で返すだろう。

権威なんてものを何も素晴らしいと思っていないからだ。

人間なんてものは地球規模で見れば生きていてもいなくてもどちらでもよい存在だと思っている。

どんなに社会的に偉い立場であっても、路上で物乞いをしている貧しい人であっても基本的には一緒だ。

上の者にこびへつらって自分の身を守ろうというせこい考えが大嫌いなのだ。

それならいっそのこと今すぐ死んだほうがましだとすら思う。

自分は自分らしく自分であればいいのだ。

それ以上でもそれ以下でもない。

たとえ他者から嫌われたとしても自分が本当に自分らしく忠実にいられるのならそれでいいと思う。

もちろん、その真逆の考えで生きていても全く問題ない。

自分の心の声を聞いてそれに忠実に従うことさえできていれば・・