人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

老後と金

最近のブログ記事のテーマは「嫌い」である。

なんだか嫌いなことばかり頭に沸いてきて癪だが仕方ない。

また、嫌いなことでも書いてみよう。

私が最も嫌いなタイプの本の中に「老後のために貯金がいくら必要か」というような類の本がある。

こういうタイトルの本を見た途端嫌悪感が沸き、思わず手に取りパラパラめくってすぐに嫌になり手放す。

こうした老後のための貯金の必要性を説く人達の頭の中にどんな考えや感情が渦巻いているのかについては個人的に興味深い。

まず、はっきり言ってしまうとこういう本を書く人達は皆、自己責任論者である。

〇〇できないのは全て自分が悪いとか〇〇しないのはあなたが悪いとか簡単に思う人達であるということ。

そして、こうした自己責任論者というのは他人に対して優越意識を持ちたがっている。

人間関係を勝つか負けるかという二者択一の視点で見ていていかに「自分」が勝つかばかり考えている。

だから自分の貯金額の多寡で人生の勝敗が決まるかのようなことを平気で言う。

そして、勝者になりたければ準備をせよと言いそのための方法論を説く。

こういう自己責任論者が職場にいると結構ウザイ。

往々にして誰も気にしないようなどうでもいいような細かなことに固執してそれができていないと責め、勝ち誇ることが多いからだ。

見ていてなんて哀れな人なんだろうと思う。

誰がどう考えてみても価値尺度なんて様々なはずなのにあたかも自分が囚われている小さな世界が全てであるかのような錯覚があまりにも人間を小さく見せているのだ。

老後までに貯金がいくら必要とか言う人達の頭の中には人生の価値尺度がお金しかないようである。

それはそれで大いに結構であるのだが人はどうあがいても死ぬということをもっと見据えたほうが良いように思う。

私はこれだけ働いたんだあるいはこれだけお金を貯めたんだと自画自賛し、劣っている他人を見下し自己責任論で突き放して悦に浸った結果寿命が少し伸びたところでどうせすぐに死ぬのである。

頑張って貯金したからこそ自分は長生きするあるいはすぐに死なないかのような錯覚はやめたほうが良いように思う。

そんなことよりも人を勝ち負けで見て優越感を持つという意識を今すぐ改めた方がずっと良いのではなかろうか。

人間なんて最初からとんでもない格差を持って生れてくるし、偶然と運の積み重ねで今こうして生きているだけなのだ。

老後と金のことを話し出す人を見るとなんだか哀れに見えるのは私だけではないだろう。