アメリカ映画などを見ているとよくSHIT!(くそったれ)というスラングを聞くが、世の中を覆う自己責任論はまさにSHIT(くそったれ)だと思う。
貧困になるのも○○できないのも経済的に大学に行けないのも本人の努力や準備不足だから自己責任だ甘えるなみたいなことを平気で言う人。
まさに、SHIT!!!!(くそったれ)
それなら、あなたがボルト並みに速く走れないのも自己責任であり、イチロー並みにうまく打てないのも自己責任であり、本田圭佑なみに上手にプレーできないのも自己責任であり、錦織圭のようにテニスが上手くないのも自己責任である。
まず自分と他人とは全然違うのだ。
だからこそ相手の状況を想像し、思いやる必要がある。
自己責任論はこうした自己と他者との違いに対する想像力の欠如からくる。
そして、格下だとみなした他者より自分が優れていると感じたら容易に他者を切り捨ててしまうことが浅ましいのだ。
湯浅誠さんの「どんとこい、貧困!」はとても興味深いし共感できた本だった。

- 作者: 湯浅誠
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
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湯浅さんは貧困に陥る人達は様々な要因が複雑に重なりあった結果として貧困に陥らないセーフティネットとしての「溜め」を作れなかった人達であり、自己責任論で切り捨てるのは問題だと言っている。
本当にその通りだと思う。
私はケチるのが嫌いだからこれはいいと感じた時は自分の給料の範囲で少額の寄付をしている。
コンビニの募金箱しかり、各種団体しかりでできる限りの援助はしたいと思っている。
こうしたことができるのも結局、偶然的に金銭的に恵まれた家庭に育ち健康な肉体を持って産まれてきた結果働くことができているというだけだ。
偶然的に家庭に恵まれなかったり、病気を抱えて働けなかったりしたらすぐに貧困に陥るだろう。
これを自己責任だと片づけて切り捨てる発想はあまりに残酷で頭が悪い。
自分で努力して道を切り開いた人の中にも自己責任論を振りかざす人がいるがこれも何か大きな勘違いをしていると言わざるを得ない。
努力も才能の内なのだ。
少し走っただけですぐにドクターストップがかかるような虚弱体質な人もたくさんいる。
それに人間は年老いていずれ必ず動けなくなり死に至る。
今、社会的に成功できているのはたまたまそうした才能に恵まれただけであり、一時的な状況に過ぎない。
全ては偶然の産物である。
それを忘れた人間は傲慢だ。