私は「備えあれば憂いなし」という言葉が嫌いである。
なぜならこの言葉は嘘だから。
実際には「どんなに備えをしても憂いあり」なのである。
そもそも、いざと言う時に備えておこうという発想をする時点で負けである。
憂いが強いからこそ、備えをしておこうという発想をする。
しかし、人間の心はそんなに単純なものではない。
一定の備えをしてもまだ「あれも足りない、これも足りない」と憂うことになる。
そして、現実は日々変化しているので少し前には考えもしなかったような憂いが次々と出てくる。
備えをしたつもりでも憂いの量が減るどころか逆に増えるくらいなのだ。
結局のところ、憂いをなくそうという発想をしている時点でその人間の器は小さいし敗北したも同然である。
先のことなど考えずにただひたすら今の事象に集中していればいいのだ。
職場などに行くとやたらに先のことを心配し、不安になり焦って準備をしておこうという人がいる。
こうした人は往々にして周りを振り回し、焦らせ、不安にさせる。
何か自分が予想していなかったことが起こるとすぐにパニックになって取り乱し、場を混乱させるのもこのタイプだ。
順調に行ったときは、これでもかとばかりに自己顕示をし、周りの人達は準備不足だから力不足で備えをしなかったのは自己責任だと切り捨てる。
その一方でそんなことに関係なくいつもマイペースに淡々と仕事をこなしている人がいる。
実力があるのは後者のタイプである。
備えに重きを置いていないということは柔軟性があるということなのだ。
何が起きても柔軟に対処できるから何でも相談できるし、頼りになる。
有事にも焦らず冷静に対処できるから強い。
備えあれば憂いなしの発想は負け組の発想である。
憂いをなくそうという発想そのものがもう既に負け組だ。
どんな状態でも生きている以上は憂いが起こるのは当たり前なのだからただひたすら今を大切に生きるようにしていこう。
ふと勝手に産まれてきて死んでしまうだけのちっぽけな存在である一人の人間がじきに死んでしまうわずか数十年の人生を憂い、少しばかり備えたところで虚しい。