人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

公(おおやけ)の持つ胡散臭さ

某党の憲法改正草案にはこんなことが書いてある。

「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、
常に公益及び公の秩序に反してはならない。」

この改正草案を書いた人って相当頭がいかれている気がする。

自分達の考え方が絶対に正しく最も尊いのだから下々の国民共は我々に従うのは当然だとばかりにやたらと高圧的だ。

は?馬鹿じゃないの?

従うわけないじゃないですか。

私は絶対に従いませんよ、こんなくそ憲法改正草案なんか。

誰が何を信じようが考えようが自由だから別に従いたい人は従えばいい。

私は「公益及び公の秩序」より「個の権利や自由」の方がはるかに重要だと考えてますしね。

例え殺されたって従いませんよ。

別にいつ死んだっていいと思っていますしね。

公(おおやけ)の秩序を声高に叫ぶ人って、自分達の偏った信念こそが絶対だと言ってはばからない。

それはそれでいいのだ。

しかし、あくまでもこの私は全くそう思わないのだから従いませんよと言うだけ。

あなたと私は違う・・まずここから始めないと話にならない。

だから、私の信念や哲学を公(おおやけ)の秩序に据えようとか思わないし。

それぞれが自分とその仲間で互いに共感して認め合えばいいだけ。

なんで、北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)みたいに国全体をガチガチに一つに塗り固めなきゃいけないんだろう。

北朝鮮も表向きは「民主主義」を名乗っているのが笑えるが。

うーーん、しかしこうして言いたいことを自由に言えるって実に気持ち良いことだ。

日々嫌々職場に行って働いて滞りなく税金収めて、イライラするのを我慢し、犯罪をおかさず、世間の微妙な空気みたいなものをよむという生活ですら疲れるのに。

公(おおやけ)の考えることって胡散臭いわ。

公(おおやけ)とは結局、誰か特定の個人やその仲間のイデオロギーなのである。

それを統一的に広めようという考えは宗教と一緒。

宗教が好きな人はそれでいいけどそうしたことに興味がない人にとってはウザいだけ。