人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

「今」の中に答えがある

昨夜は、前職場の仲良し5人組で飲み会を開催。

純和風な居酒屋で食べ物も美味しく美味い酒を飲めた。

この5人組との飲み会は2年前くらいからほぼ2か月おきのペースで続けている。

私は1年半ほど前に辞めたがその他の人は今も現役で頑張っている。

腹黒い経営者が営利と既得権益を追求しているブラック企業であった。

しかし、そこで働く仲間には凄く尊敬できる人も結構いて今もこうして親交があるのは収穫である。

この5人(状況によって4人の時もあるが・・)が集まると凄く一体感が出る。

そこには「和」の雰囲気が漂う。

お互いを信頼し、尊敬しているし気楽になんでも語り合える。

いわゆる友達とはまた違う職場を通しての連帯感である。

私は前職場の劣悪な環境を辞めて転職し、良好な環境である現職場で働けることを幸せだと感じている。

当然ながら、ほとんどの人にとっては腹黒い独裁的な経営者がトップに立つブラック企業で働くよりも善良で良心的な従業員を思ってくれる職場で働く方が幸せだろう。

しかし、この世には正負の法則があるのも確かで悪い職場には意外と良い人が多かったり、良い職場には意外とあまりぱっとしない人が集まっていたりするものだ。

多くの国を旅した経験がある人はそれぞれの国には必ず良いところと悪いところがあると肌で実感したと思うがそれと同じだ。

一見貧乏で貧しい発展途上国だからこそ人が親切で暖かかったり、先進国で便利・快適だけど人が冷たく感じたりすることもある。

自分の国や職場のソトに出てみるとかつて自分が存在した共同体のウチの良さや悪さがよく見えるようになる。

これが、海外旅行や転職の面白さでもある。

と言うことで、今の職場は残念ながらそれほど連帯感もないし、尊敬して信頼できる仲間は少ないのかもしれない。

でも決して前の職場に戻って気の合う人と働きたいとは思わない。

やはり、私は個人主義者なリベラル派である。

個人の自由や権利に勝るものは(私の価値観の中に)存在しない。

私は海外の旅が大好きで、日本にいる時より外国にいる時のほうがはるかに安心感や落ち着きを感じるタイプだが、飲み会に関しては欧米風のバーよりも純和風な居酒屋で飲む方がはるかに好きだし楽しめる。

だから、国内ではバーなどで飲むことはまずなくて必ず居酒屋で飲む。

これがたまらなく良い。

昨日の居酒屋は珍しく生ビールが「キリンラガー」だった。

キリンを扱っている店のほとんどは「一番搾り」を出してくるので珍しいなと思った。

というわけで、久々に昨日「キリンラガー」を飲んだが少し苦みがあってめちゃくちゃ上手いとは思わなかったけど普通に美味しかった。

ただ、同じラガービールなら私は「サッポロラガービール」の方が好きだ。

サッポロ ラガービール 缶 500ml×24本

サッポロ ラガービール 缶 500ml×24本

最近、日本の労働環境が劣悪だとのことで政府が「働き方改革」を掲げている。

これは良い動きで歓迎したい。

今まで日本の会社にはあまりにも社畜が多すぎたのだ。

はてなブログの中に日野瑛太郎さんという人が書いている「脱社畜ブログ」という非常に優秀で面白くて共感できるブログがあるが彼の書いた「脱社畜の働き方」という本の中に「ゾンビ型社畜」が登場する。

社畜の中でも最強のレベルに達するとゾンビ型社畜に至る。

時間外でも休みの日でも常に会社にいて何か仕事をしていないと不安になってしまうゾンビのような社畜で彼らは虎視眈々と周囲の人間をゾンビ型社畜にしようと企んでいる。

彼らに決して近づいてはならない。

彼らに噛みつかれ洗脳を受けた者はいつの間にか気付かぬうちに自分までゾンビ型社畜にされてしまうからだ。

戦時中は「お国のために」とか「非国民」という言葉が大きな力を占めていた。

それが、終戦後に力をなくしその代わり会社に忠誠を誓う「社畜」が猛威を振るった。

サービス残業や付き合いの飲み会を強制させる雰囲気が強く残ったのは社畜が力を持っていたからだ。

これが政府主導で解体されつつあり、歓迎すべきだが今後は「国畜」にならないように気を付けなければいけない。

「お国の為に」貢献すること、「お国の言うこと」に忠実に従うことを良しとする変な空気である。

ネットを徘徊すればすぐに「愛国」だの「反日」だの「非国民」だの「売国奴」だのと誹謗中傷を投げかけている輩がいるが彼らは正真正銘の「国畜(国の家畜)」である。

当然ながら私も日本が好きだし、愛国心もある。

自由で平和で権利が大切にされている日本への愛国心である。

しかし、これを利用して自分達の意にそぐわないことを言うものに汚い言葉を投げつけるものは戦前や戦時中に「お国のため」と自決を強いた自称愛国者とあまり変わらない。

彼らはまさにゾンビ型「国畜」である。

「公の秩序や公益」が「個人の自由や権利」よりも上位にくることを信じて疑わない。

公(おおやけ)とは誰なのか?考えてみたい。

公(おおやけ)とは簡単に言ってしまうと自分達とその仲間が有する既得権益なのだ。

自分達と同じ考えを持ち似た方向を目指している既得権益を守ろうとする卑しい動きである。

それが、秩序や利益をもたらす現実があるからこそ彼らは声高にそう叫ぶのだ。

しかし、よく考えてみればそんなに「公益」が重要ならお国の為に私財を全投入してしまえば良いと思うのだがなぜか彼らはそうしない。

税金を払いすぎて破産したという人を聞いたことがない。

自分の既得権益を守るために仲間を増やして他者に犠牲を強いる姿は明らかに醜い。

ネット上でお気軽に「愛国」だの「非国民」だのと叫ぶだけで公益を図れるはずがないじゃないか。

私は日本人としての「自由と権利」を行使してたくさん海外を一人旅してきたがそこで自分が「日本人」であることを痛感してきた。

日本人は全般的にマナーが良くてお金に綺麗な人が多いと思う。

これは海外で誠実な印象を与えることに貢献している。

そういう意味で私は「公の秩序」や「公益」や「国益」に貢献してきたと思っている。

個人の持つ権利や自由を重視することでそうした概念にコミットすることは十分可能だ。

閑話休題

とある方のブログを読んでいたら可愛い犬の写真が写っていて癒された。

犬って本当にかわいい。

私の姉夫婦が家を建てたのだがそこでゴールデンレトリバーを飼い始めたので会いに行った。

可愛すぎて羨ましかった。

私も子供の頃から大学生まで実家でシベリアンハスキーを飼っていて超可愛かった。

犬は人間に忠実だし、愛嬌があるし大好きである。

それ以上に私は「牛」が好きである。

自分の部屋に「牛」を飼いたいとすら思う。

インドに行って野良牛と触れたことがきっかけだ。

しかし、賃貸マンションの一室から牛の鳴き声が聞こえてくるのもおかしな話だ。

動物はいい。孤独を癒してくれる。

すべてこの「今」の中に答えがあるのだ。


シベリアンハスキーと幼女

ちなみにこの動画と私とは一切関係がありません。

勝手に動画を借用してすいません。