小中学校の頃に長めの全体朝礼なんかをやると校長先生の話の途中で倒れてしまう生徒が一人はいたなあと思い出す。
自分は倒れないタイプの多数派だったが、身体が弱めの少数派の生徒からしてみれば長時間立っぱなしの全体朝礼は拷問に近かったのかもしれない。
よくよく考えると体調が悪くなり始めたらすぐに休めばいいのになと思う。
みんなが立っているからという理由で自分の体調が悪いのにも関わらず倒れるまで我慢して立ち続ける必要がどこにあるんだろう?
立ち続けるのは勃ち続けるのとはわけが違うのだ。笑
勃ち続けても倒れることはないが、立ち続けると倒れることになり危険である。
もっともっとみんなを裏切ってしまえば人生は楽になる。
最近、電通という大手有名広告代理店の女性新入社員の方が自殺されてしまったが本当に残念でもったいないことだと思うし、心の底から電通という会社の悪質な社畜文化に怒りを感じている。
以前にも自殺者が出ているのに全く改めようともしない姿勢は傲慢極まりない。
社員を人間ではなく将棋の駒としか見ていない証拠である。
亡くなられた女性社員の方ももっと早くみんなを裏切って辞めるなり、休んでしまえば良かったのになあと心の底から思う。
できれば生きている間にphaさんの「ニートの歩き方」や「しないことリスト」や「持たない幸福論」などを読んでいただきたかった。
超有名大卒のエリートでも色々な生き方をしている人が多くいる時代であることを感じていただきたかった。
集団の同調圧力みたいなものだったり、世間の目みたいなものだったりにはまるとろくなことがない。
世間というものは実にいい加減且つ無責任なもので集団の構成員が自殺してしまったとしても「可愛そうに」の一言で片づけて終わりなのだ。
自分の死と引き換えに「可愛そうに」という言葉をもらって終わりってなんだかバランスが悪すぎる。
世間は他人のことなどまるでなんとも思っていないのだ。
もっともっと自分の体調に敏感になっていいし、会社や職場を休んだり早退したりしていい。
それで職場が回らなくなるからとか変な責任感はいらない。
仕事なんてどんな仕事もただの暇つぶしだし、自己満足の延長みたいなところがあるから本当はやってもやらなくてもどうでもいいことばかりなのだ。
フィリピンのドゥテルテを見てみればわかるが彼が一生懸命「麻薬撲滅戦争」に励めば励むほど次々と死者や犠牲者が増えてろくなことにならない。
仕事とは本来的に非常に危険なものなのだ。
かつてヒトラーが優生思想をもとに大量のユダヤ人や障がい者などを収容所に送り虐殺をした。
彼にとっては極めて当たり前で真面目な業務遂行だったはずだが結果的にそれが物凄い大きな不幸を社会にもたらした。
「この仕事は社会のためだ」という正義感みたいなものは自分にもあるのでその気持ちはわかるのだが、そこを理性でぐっと抑えて「この仕事はあくまでも自分のためだけにやっているのだ。自分のための仕事だからこそ嫌ならいつでもやめていい」と思い直す必要がある。
「これは社会のためになるから頑張る」という動機はいつの間にか歯止めが利かなくなり暴走してしまい、多くの人や自分自身を傷つける凶器になり得る。
この暴走を止めるための道具として労働基準法があるのだからとにかく定時が来たら帰るようにすればいい。
どうせみんないずれ死んでしまうのである。
今日どんなに頑張って働いたところで、徹夜して業務に挑んだところでどうせいつか死ぬ日がくる。
全ては無駄なものであり、暇つぶしであり、生きるための道具にすぎない。
仕事も生きるための暇つぶしである。
これを忘れてみんながやっているのだからお前もやれという圧力をかけてくる奴は馬鹿だから避けること。
日本は確かに良い国だが頭が悪くてエネルギーが有り余っている血気盛んな輩も多いので取り込まれないように徹底的に距離を置いていこう。