私が大好きな本の中の一つに哲学者中島義道さんの「哲学の教科書」がある。
~本文引用p13~
第一章 死を忘れるな(Memento Mori!)
1 最大の哲学問題は「死」である
死の練習
すべての人は死にます。それも、「いつ」とわかっているわけではなく、明日死ぬ人も世界中に何万人といることでしょう。
ほとんどの人は、それを知らずに今晩寝床に着きます。これは考えれば考えるほど大変なことです。
そして、「死」はまた哲学にとっても最大の問題であったと言えましょう。西洋に限っても、プラトンにとって哲学とは「死の練習」でした。
また、もっと前のギリシャの哲学者クリチアスは次のように言っております。
生れてきた以上は死んでいかねばならず、生きている限りは不幸から逃れることを得ない、ということ以外に何も確実なことはない。
~引用終了~
370ページ以上に渡る著書の中で中島さんは思う存分に哲学について細かく語っていますが著書の1丁目1番地とも言える第一章の冒頭で哲学の最大の問題は「死」であることをはっきりと言っています。
これは、注目に値することですよね。
著書を読んでいくとわかりますが、中島さんが問題にしている「死」とは統計的・客観的な意味での「死」ではありません。
日本の年間自殺者が3万人だとか、今年の交通事故死者数が何千人だとか、癌で亡くなった人が何人とか、シリア紛争で亡くなった人が何人とか、難民として自国から他国へ避難中に亡くなった人が何人とかの客観的な数値について社会科学的に問題にしようとしているわけではないのです。
そうではなくて、あくまでもそれぞれが抱えている己自身の「死」が大問題だと言っています。
確かに昨日も今日も(恐らく明日も)日本中でそして世界中で多くの人が死んでいることでしょう。
その情報を統計的に集めて昨年は世界中で何名の方が亡くなりました・その要因の多くは○○ですなどと論理的に分析していくことは可能でしょう。
しかし、所詮は他人の死です。
他人の死はどこまで行っても他人の死なのです。
それは、私の死とははるかにかけ離れた物であると言わざるを得ないんですね。
明日、私が死ぬことがはっきりとわかったなったらこれは大問題です。
それこそ自分も家族も大騒ぎすることでしょう。
しかし、世界中の人達は恐らくなんとも思わないことでしょう。
ああ、可愛そうにねえ・・まだ若かったのに・・くらいの同情がもらえるかどうか?と言う程度です。
他人の死と自分の死とはまるで重さが違う。
そして、全ての人は死に行くわけですからそれぞれの人が生きている限り、死に直面しているわけですが他人の死それ自体は自分の実存をほとんど全く脅かしませんが、私の死は全ての実存を根本から揺さぶってしまうということになります。
私が存在しているからこそ世界がそこに存在しているだけだからです。
当たり前のように私の目の前に存在しているこの世界が死とともに跡形もなく崩れ去ってしまう・・という事実は大変驚くべきことだと思います。
それこそ、私の人生はいったいなんだったのか?と問わねばらならなくなるからです。
このように私の死が大問題だからこそ、他人の命を軽く扱っていけないという理論が成り立つことになります。
つまり、私の死が自分の全財産の中から1円を失うことと同じように軽いことであり、取り返しのつくことであるならば何も問題にならないはずなのです。
私の死がかけがえのない重大な事件であるという前提で近代社会や国家は成り立っているわけですね。
確かに人間は産まれてきた以上死んでいくのですが、どうせ死んでしまうのですからたった一回きりの人生を死ぬまで大切に生きることができるように国や社会が守っていこうという考え方で国家が運営されている。
ここから憲法なり、法律なり、社会のルールなりが作られているんです。
これは非常に大切なことだと思います。
フィリピンのドゥテルテという大統領は自身(国から)の命令で麻薬犯罪者を警察官や市民(自警団)等に次々と殺させております。
普通に考えて人を一人殺すということは大変なことです。
それは、今日まで普通に生きていたこのかけがえのない自分という存在が殺されて明日はもうこの世にいないということがとても恐ろしいことであり、信じられないことだからなのです。
今日まで普通にそこにあった人生が明日にはぱたっと無くなってしまう。
それを自分で選んだのなら致し方ないでしょう。
しかし、例え自分が明確に犯罪者に当たるとしてもいきなり不意打ちされて虫けらのように殺されてしまうということに誰が耐えられるでしょうか?
自分が軍人の身であり、明日戦争に行くのならある程度心構えもありましょう。
さて、この「哲学の教科書」という本大変お勧めです。
難しいですが、非常に面白く素晴らしい内容です。
是非多くの人に読んでいただき色々なことを考えていただくきっかけにしてほしいと思っています。