人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

都会が好きだ

東京から地元に戻ってきた。やはり、私は東京という大都会が好きだ。都会のような人がうじゃうじゃいるところに行くと不思議と落ち着く。他人と自分とは一見するととてもよく似ているのだが、細かく見てみると似て非なる存在である。

しかし、「自分はどこまで行っても自分でしかない」という点では圧倒的に共通しているのだ。

自分は自分であり、他人は他人である。しかし、どの他人も結局は自分である。そして、どの他人も今を感じながら生きていて今に縛られている。他人がどんなに未来を想像していたり、過去に悔んだりしていたりしてもその行為をしているのは「今」でしかないのだ。

都会のような人がうじゃうじゃいるところにいると世の中にはこんなにも多くの多様な「自分」がいるのだとほっと安心する。確かに他人は自分ではないから他人の痛みや苦しみや悲しみや楽しみはわからない。しかし、みんな何かしらを感じながら生きているし結局は「自分」に縛られているのだ。

能力や才能は人それぞれだろう。しかし、どんなに才能や能力を持っていたとしても自分という存在としての限界があり他人になることはできないのだ。そう考えると自分も他人もたいして変わらない気がしてくる。

今日は、書店で購入した村上春樹さんの「職業としての小説家」をひたすら読んだ。

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

非常に読みやすくて面白い本だった。小説家とはどういう人種なのか?なぜ村上春樹は小説家になったのか?小説家になる前は何をやっていたのか?小説家を続けるのにはどういう苦労があるのか?小説家に関する謎を村上春樹としての個人を起点に普遍化しようとして文章が展開されていく。村上さんの文章はわかりやすくて読みやすい。いつの間にか文章に引き込まれてしまうのは彼の文筆家としての実力なんだろう。

小説家というのは凄くストイックな職業なんだということが伝わってきた。一つの小説を書いて世に発表する前につらく苦しい細かな作業が数多くある。作家が1つの文章を書いてそれをあらゆる方面から点検し、吟味して推敲し、それをまた編集者がダメだしし、書き直したり大幅に手直しをしたりしていくのだがそれらの苦行を誰も誉めたり認めたりしてくれるわけではない。あくまでも職人としてのプロ意識に頼って忍耐強く粘り強くそうした作業を行っていくしかない。

村上さんは1つや2つの優れた小説を書いたが書き続けることができずに消えていった作家をたくさん見てきたという。多くの人は結局のところただひたすら書き続けることができないのだ。書き続けるのが嫌になってしまうのだ。物事に対して焦って答えを出そうとする傾向のある人は小説家に向いていないという。なるほど。

私は100%作家に向いていないということがわかりました(汗)