世の中に崇高な仕事なんてものはない。
みんな、人生が暇だから仕事をしているだけだ。
崇高な仕事ではなくて暇つぶしのための仕事である。
私が大好きな林修先生がラジオのトークで大変素晴らしい「仕事観」を語っている。
その通りなのだ。
仕事とは自分がやりたいことを選ぶのではなく、やれること、結果が出せることを選ぶべきなのだ。
パン職人がパン作りという仕事を好きか嫌いかなんてどうでもいいことで、作ったパンが美味しいか不味いかだけが全てなのである。
どんなにパン作りが好きでも毎回不味いパンしか作れない人はパン職人になってはいけないのである。
同様にどんなに楽器の演奏が好きでもそれによって聴衆を感動させたり、熱狂させたりすることができない人はプロミュージシャンになるべきではないのである。
楽器の演奏が好きならば趣味としてやればいい。
どんなに走るのが好きな人であっても誰よりも早く走れなければ陸上選手になることはできないのだ。
逆にどんなに走ることが嫌いであっても誰よりも早く走ることができるのなら陸上選手になるべきなのだ。
つまり、仕事とはある一定のクオリティが求められるものである。
たとえ自分がやりたいと思える仕事がなくてもやりたくない仕事であってもそれなりの結果が出せ、クオリティがそこそこ高いことができる仕事であるならそれをすべきである。
仕事とは消費者の側の視点に立って行うべきであり、自分が好きだとか嫌いだとかの精神論をはるかに超越したものなのだ。
やはり、林先生は賢い。その通り。
私自身も今やっている仕事は嫌いである。これしかできないからやっているだけだ。
しかし、それなりにプライドを持っているし、そこそこのクオリティは維持しているつもりだ。
仕事が嫌いだけど嫌いだからと言って手を抜いていいはずがない。
最終的には仕事なんてどうでもいいことの最たるものであり、暇つぶしの一環だし、崇高な仕事なんてものは何もないのだけれども何らかの仕事をしてお金をもらうということは結果に対して責任をとるということである。
これは結構重要なポイントだ。
たまに職場に行って本当にやる気がなさ過ぎてまわりの足を引っ張る人がいるがこうした人はその仕事に向いていないのだから即刻やめるべきである。
好きなことを仕事にすることが良いことのように言われるけどそれは嘘である。
好きなことをしたければお金を払わなければいけない。
やりたくないこと、嫌なこと、嫌いなことをするからお金をもらえるのだ。
逆に好きなことを仕事にした場合多くの人は本当にわずかなお金しかもらえないことは覚悟した方が良いだろう。
世の中そんなに甘くない。