職場の気が合う同僚女性(既婚者で子供あり)と家族や結婚のことについて込み入った話をして面白かった。
私は他人と関わることがあまり好きではないし、結婚とか絶対したくないタイプの独身主義者なので「他人を愛する」ことの意味がよくわからない。
というようなことをその方にぶつけたら確かに「夫婦が愛し合う(愛し続ける)のは難しい」と言っていた。
その方が言うには夫婦の間に子供がいればまだ子供を通して夫婦の結びつきが深まる面があって救いがあるが、子供がいない夫婦はよく結婚生活を維持できるなあ~本当に凄いというようなことを言っていた。
うーん、そういうものなんだろうか?
結婚というのは確かにただ好きになった二人が一緒に住むというだけの関係ではなさそうだ。
子供ができたり、近所づきあいができたりと独身時代とは違った「絆」が産まれてくるはずである。
そこが結婚の面白さでもあり、大変さでもあると私は勝手に推測している。
そうした家族の「絆」が好きな人は結婚するのも決して悪くはないだろう。
しかし、この私に限っては「絆」が嫌いであり、苦手なのだ。
そもそも「愛」ってなんだ?と真正面から疑いを抱いている人間である。
仮にパートナーに「あなたを好きではあるが愛しているかはよくわからない」と言ったら確実に二人の関係に亀裂が走るだろう。
私は自分で言うのもなんだが「理性的」に生きようとしている人間である。
感情よりも理性を重視しているから周囲には冷たく映ることもよくある。
こうした人間にとっては「愛」というものが時に重く、やっかいなものに感じる。
愛を理性で割り切ることはできないからだ。そこを合理的に割り切ってしまったら何もなくなってしまう気がする。
愛の正体を暴いてしまうと実は何もないのだ。私にはそれが見えている気がする。
だからこそ愛に近づきたくないのだ。人間が生きることにおいて知らなくても良いことはたくさんある。
知らなければ知らないで済ませた方が生きやすいものなのだ。
人間は死ぬことがいったいどういうことなのかよく知らない。
しかし、それを知ったからとて生きやすくなるというわけではない。
人を愛するということも同様だ。なんとなくその正体をつかみかけているがあえてそれを深く知ろうとすることもない。
人生の意味とか目的とかも同様で、本当はそんなもの何もないのだ。
お金についてもみんな先のことが不安になってできるだけ多く手に入れたいと思って頑張っているけど私はあまり興味がない。
どんなにお金があっても人間は必ず死ぬからである。
愛とお金は深い関係にある。愛はお金で買えるという人もいる。もしそうだとしたら愛とは何なのか?
結局それらは幻なのだ。何も確かなものではない。それが私が30年以上生きてきた得た重い実感である。