ネルケ無方さんというドイツ人が書いた「曲げないドイツ人決めない日本人」という本が面白い。

- 作者: ネルケ無方
- 出版社/メーカー: サンガ
- 発売日: 2016/06/25
- メディア: 新書
- この商品を含むブログを見る
ネルケ無方さんは現在48歳、16歳の時に坐禅と出会って「禅」に興味を持ち26年前に留学生として来日、1993年に安泰寺にて出家得度して安泰寺の現役ドイツ人住職という異質な肩書を持つ人である。
本書ではドイツ(ドイツ人)と日本(日本人)の違いについわかりやすく分析し、読みやすい文章にしてある。
とりわけ私が興味深かったのはドイツと日本の「空気」の違いについて述べてある以下の部分である。
~本文引用p73~
私があるとき講演会で「日本人は空気を読むけれども、ドイツ人にはそういう文化はありません。」と言ったときに、日本人の聴衆から反論が出ました。「ドイツはサッカーが強い。空気が読めなかったら、サッカーで勝つのは無理ではないか」と言われたのです。
確かにそうです。ドイツ人だって、空気を全然読まないわけではありません。しかし、空気の濃さが違います。よく言えば、ドイツでは風通しがいいのです。サッカーチームも風通しがいい。
日本は悪く言えば、空気が重い。日本の空気は、空気というよりもドロドロした液体のようです。下手をすると身動きがとれません。日本人は空気を読んでいるけれども、いろんなことにとらわれすぎています。それが束縛にもなっています。
ドイツには複数のパイプの絡み合いがありません。ドイツ人は自由に動きたいと思う人種です。動き回れるスペースがあります。空気はその場を自由に流れています。
~引用終了~
この分析は鋭いと思う。確かに日本人の空気は重苦しい。それが日本人の長所であり、美学であるみたいなことを言う人もいるけどあんまりそう思わないんだよね。
やはり、思ったことはお互いに「空気を読まずに」言い合える雰囲気の集団の方がいい。
日本はよくも悪くも集団主義の文化が根強くてこれに風穴をあけるのは至難の業である。
「人は人、自分は自分」という個人主義が通じにくいのだ。だから有給を消化して長期休暇を取ることもしにくい。
「他の人がやっていないのに自分だけやるのは気が引ける」という考え方をする人が多い。
政治家を見てもそうである。確かにある政党に所属していればトップに対して反対意見を言いづらいのかもしれないが、おかしいと思うことがあったら正々堂々と反論すればいいのである。
だいたいお上の言うことなんてろくなことはないのだから水戸黄門の印籠みたいに「恐れ入りました」と引き下がる必要なんてない。
ドイツ人みたいにいったんは自己主張して意見を戦わせてみてどっちがいいか再考しながら物事を進める訓練をした方がいいのだ。
日本に溢れるブラック企業のほとんどは「空気による支配」を試みているものだ。「周りの奴らがこれだけ頑張っているんだからお前も残業してもっと頑張れよ」とか「他の奴らが有給を使っていないのにお前だけ使うのはどういうことだ」というようなことを上の人が平気で言って(あるいは言わないけどそんな感じを匂わせて)無理に従わせるような嫌な空気がある。
こういう輩は張り倒していいのだ。私はこの麗しき日本国内に流れるありとあらゆる「空気」に抗ってきた男である。
俺には空気など関係ないと突っぱねてきた。それでうまくいったこともあるし、思うようにいかなくて孤立したこともある。
しかし、いつ死んでも良いので周りがどう思おうがどうでもいいのだ。とにかく「明らかにおかしいと感じたことを素直におかしい」と言えないくらいなら死んだほうがましだとすら思う。
それが私の美学なのであって、周りの空気を読んでそれに従うことが美学でないことは何よりも確かなことなのである。