古いものが好きな人っているけど全然興味がないタイプである。例えば私は歴史というものに興味が全然沸かない。日本の戦国時代はどうだったとか江戸時代はどうだったとかどうでもよく感じてしまうのだ。江戸時代に農民はこんな暮らしをしていたとかマジでどうでもよくて今が一番大事だと考えるタイプである。
そういう思考だから歴史の教科書とか全く興味が持てずいつも点数が悪かった。まあそうは言っても794(なくよ)うぐいす平安京とかその程度のことは知っているけれども。逆に歴史に興味がある人が不思議でならない気持ちも持っていた。人間は他人というものを理解できないものなのだ。歴史に興味がある人、歴史が大好きな人からすれば私のようなタイプはまったく理解できないのだろうし。
というわけで過去にあまり興味がないのだが未来にもあまり興味がない。将来の日本がどうなるとか本気でどうでもいいと思ってしまうタイプである。日本が数十年後に人口が減少して8000万人台になるとかの試算があってやたら少子高齢化を心配する傾向があるけど「それで別にいい。何の問題もない」と本気で思ってしまう。
そんな先のことよりも今をどうするかだけ考えなさいと言いたくなる。人口が何千万人いようが何億人いようが全ての人間はわずか数十年で死んでいくようにできているのだ。その哀れの方が大問題だと考える。この先も遺伝子引き渡しゲームは続いていくことだろう。そしてこの遺伝子引継ぎゲームに心底興味が持てないのである。
なぜなら人間が生きていることがそれほど素晴らしく尊いことだとも思えないからである。しかし、よく考えると自分の遺伝子が駄目だからそう思うのだなという気がしてくる。良い遺伝子を持っていればもっと明るく前向きなんだろうと。ということは私は適者生存競争に敗北しているのだ。まあそれで良いかな。
日本人が現時点で1億2600万人もいるのだから私ごときが一人いてもいなくてもどっちでもよかろう。これは真理である。日本の人口が30人くらいしかいないのなら私が遺伝子を残さなければと焦るかもしれないけれどね。でも死んでも楽しくなさそうなのは確かだ。まわりの人をみていてもあまり楽しくなさそうだし。勝ち組とか負け組とか所詮嘘だなと思う。
大阪の簡易宿泊所で2095万円の現金を横に自殺した男性がいたけどお金がいくらあっても人間は孤独で不安なのだと思った。お金は人を救うことができない。すべてのお金持はみんな死んで来たのだし、これからも死んでいくだろう。お金にすがろうという魂胆が甘いのである。