人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

寛容と不寛容

先ほど記事を一つ投稿し、これで今日は終わりかな?と思いきや本日2つ目の記事を投稿しようとしている馬鹿な私である。前記事にトカゲがゴキブリを食べまくる動画を添付したがそれを見てみるとアルビノ個体(白色のゴキブリ)が1匹いるのがわかる。ゴキブリにもアルビノっているんだなあ?としみじみ感慨深い。

当然ながら人間にもアルビノの方がいてアフリカなんかだとアルビノ狩りとかいう恐ろしいことが行われている地域もある。少数派は多数派に迫害される運命にあるのかと思うと切なくなる。最近LGBT(レズ、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の権利を守ろうという動きが大きくなってきていてこれは大変素晴らしいことだと思う。日本という国はまだまだ性に対して抑圧されている国だと思う。とりわけLGBTの方達が生きにくい社会だと思う。それはこの日本の集団主義の風土がカミングアウトに寛容ではないことを意味している。

私が海外を旅してLGBTに寛容だなと思った国はタイとフィリピンである。タイとフィリピンではそこら中にいわゆるおかま(レディボーイ)の人を見かけるしそれを周囲も普通に認めている。ただ、注意しなければいけないのはレディボーイでもないのに、そのふりをして外国人観光客に近づき隙をついてひったくりをしようとする輩がいることだ。私もそれをやられて財布を奪われそうになった経験があるのでレディボーイが全員本物で良い人だと思わない方が良い。これはまあ別にレディボーイに限らず全ての人間に言えるわけだけれども。

私はリベラルな個人主義者だから「みんな同じであるべき」という考え方を嫌悪している。みんな違っていい。というよりも遺伝子が違うのだからみんな違うのは当たり前のことだ。自分の常識や普通が他人に当てはまることの方が少ないのだと思う。当然ながらLGBTの方がもっと生きやすく寛容な社会になってほしいと願う。権利とは少数派を守るためにあるものだ。多数派の権利はすでに「既得権」という形で守られていることが多い。多数派は自分たちが生きやすくなるように歴史的に既得権を形作ってきたのだ。

現在の日本では猫も杓子も少子高齢化を憂う傾向にあるが私は正面切ってこの傾向に疑問を投げかけている。なぜ少子高齢化でいけないんですか?と。日本の人口は世界的に見てかなり多いのだから少しくらい減っても良かろうと。労働力人口が減って社会がまわらなくなりそうならもっとゆる~い社会を目指していけばよいでしょうと。便利・快適ばかりを求めるとどうしても少子高齢化を憂うことになるがなんとか食べていくことができれば多少不便でもいいじゃないかと私はそう思う。スーパーやコンビニやファミレスの営業時間を短縮し、郵便物の配達がもっと遅くなり、電車やバスの本数が減っても問題ないじゃないかと本気で思っている。そうなったらそうなったで人間はそれに順応できる生き物だと思う。

寛容と不寛容っていったい何なのだろう?と思う。人間って寛容と不寛容を併せ持っている生き物だ。寛容過ぎてもいけないし、不寛容過ぎてもいけない面がある。厳しいだけでもゆるいだけでも駄目ということだ。生きていく以上なんらかの形で自己を律していかなければいけない。場合によっては他者を律しなければいけない。あー旅に出たい。