それこそが愛なんですよ~・・皆さんわかってますか~!?
って大声で叫びたくなる気分だ。私の悪いところは人生に退屈し、イライラしてくるとこうした『名言』をドヤ顔で吐き、叫んでしまいたくなることなのです。なんせ、『愛』を語らせたら私の右に出るものはいませんからね。
先日、テレビを見ていたら美輪明宏さんが出ていて「愛とは全てを許すこと」と言ってました。やはり、美輪さんが言うと説得力がありますね。ただ、勘違いしてはならないのは美輪さんがここで言っているところの『愛』とは、エロスではなくアガペー(キリスト教的な理性愛)なんですね。愛は愛でも愛し合うものが絶頂にいる時に交わし合う『愛しているよ』の言葉に込められた愛ではなくて、どんなに憎たらしいものでも、腹が立つ時でもその感情を理性でコントロールし、我慢と忍耐するという意味での理性愛です。
結局のところ理性愛って苦しいだけなんですね。だって、むかつく人、腹が立つことに対しても我慢し、許すことなんですから。そして、キリスト教的な隣人愛はこの『我慢と忍耐』に基づいた理性愛を最上位に位置付けているんですね。私はキリスト教徒でもなんでもないので詳しくはわかりませんが、恐らくそういうことなんだろうと思います。
道を歩いている美女に一目ぼれし、好きになって「愛してる~」と叫ぶ男の心の中にあるのは美輪さんが言うところの愛の定義からは少し外れてくるんですね。
先日、you tube動画見てましたら、you tuberのラファエルさんが動画最初に『愛のあるSEXって何?』ってドヤ顔で言ってましたけどこれって結構真面目に取り組んだら頭が痛くなるような大問題です。↓
元自衛隊の筋トレ!ベンチプレス100キロ勝負!ぷろたん・Jin
男にとってセックスとはお互いの愛を確かめ合うものというよりも単純に性欲を吐き出す手段としての意味が大きいように感じます。しかし、女性はそうではないんですよね。ここが大変重要なポイントです。女性にとって見たらそのセックスに愛があるのか?ないのか?が大問題なんです。
つまり、男は己の肉体の性欲に溺れずに『目には見えないけれど、風のように身体で感じるもの』としての愛を見つけ表現していかなければいけないんですね。これがまあ大変な作業なんでしょうね。私はよくわかりませんが。
もしも、大好きな女性とことに及んだら、女性に『I can't see (it) ,but I feel(it) like a wind!(目には見えないけれど俺は身体で(愛を)感じてるよ) 』といってあげましょう。きっと喜びますよ。
うおりゃーーーーーーーーーーーーーーーーー、愛なんてどうでもいいからベトナムの海で今すぐ泳ぎてーー。日本脱出してーーーーー。