人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

人生のバカバカしさ

最近、というか少し前から(私の)人生はとてつもなく馬鹿らしいと思っている。もう何もかもが本当に嫌で嫌でたまらないのだ。生きてるのが面倒くさいのだ。そう叫びたい。でも、小心者だし、他人にあからさまに迷惑をかけるのも嫌なので仕方なく嫌々と働きなんとか一応『普通』に生きている。

そんな時に、『メキシコの漁師の話』は心に染みる。これこそ究極の真理である気がしてくる。海外一人旅が大好きでとりわけ東南アジアが好きな私からすると途上国で少し不便であってものんびりと生きられる方がずっと幸せな感じがするのだ。隣の芝生は青く見えるってやつなんだろうけど、私は少し羨ましい。結局、日本人としてこの世に産まれてきてこの国で働くということはどうしても日本の先進性を維持し続けなければいけない宿命を負っている(気がしてしまう)。それが息苦しい。別に私にはどうでもいいことだ。これは錯覚なのかもしれないけれども。

仕事に追われて少しばかり(途上国と呼ばれる国の人達よりも多く)お金を稼いだところでそれが何なのだろう??全て虚しい。そのお金をいくばくかの幸福に遣っても泡のようにその時間は消え去り、現実に引き戻される。『メキシコの漁師の話』はある意味日本版「浦島太郎」ではないかと思った。

『メキシコの漁師の話』

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、

「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。

すると漁師は

「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が

「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、
漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、

「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」


すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。


「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。
いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。
それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。
やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、
ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。

「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」

「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」

「それからどうなるの」

「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、

「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、
日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、
子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」

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私は我儘だ。めちゃくちゃ我儘だ。それだけ自由であるということだ。自由にありたいというだけだ。それで何が悪いと開き直りたくなる。この私の人生が面倒くさい。でも捨てることもできず悶々としている。

そして、今日もため息をつきながら一日が始まっていく。