人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

鳴りやまないシャンパンコール

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仕事中もふと気づくとホスト達のシャンパンコールが鳴り響くようになってしまった。悲しすぎる。ホストにはまる女性の気持ちも少しわかる気がする。ホストにはまる女性のことをホス狂いというらしいが、これで私も立派なホス狂いである。それにしても、ホストだけはできないなあと思う。一見楽しそうに見えて地獄でしかなさそうな仕事だ。身体を痛めつけるほど酒を飲んで、全然楽しくないのに楽しそうなふりをして、嫌いなホスト仲間のシャンパンコールも笑顔で盛り上げて、ブスな女にも可愛いとか好きだとか嘘ついて、アフターでセックスしてとかあり得ない。

最近はホストを気遣うお母さんの気分になっている。「あんた、大丈夫なの?身体壊すよ。もう辞めな」と言ってあげたくなるのだ。なんと私は優しいのだろう。こういう母性本能(?)を揺さぶるからこそ女の子がホストに金を遣うからあの業界はまだまだ健在なのだ。

ところで、私はなりたい職業というものがない。そして、やれる仕事もほとんどない。仕事を選べるってある意味才能が必要だ。そして、仕事を続けることも一つの才能だ。どんな仕事であれお金をもらう以上、大変なのものだ。一見簡単に見えても結構難しいのである。気力、体力、精神力のすべてに欠け、器用でもなく能力や才能にも恵まれない私ができる仕事なんてほとんどこの世には残されていなかった。もちろん、ホストには絶対なれないだろう。

昨日、ネットを見ていたらオダギリジョーのインタビューが載っていて「仕事なんてどうでもいい」と言っていたのが印象的だった。彼は今41歳だが、20代にあまりにも働きすぎたのだと。今まで働きづめに働いた結果「仕事なんて人生の一部に過ぎないし、他にも重要なことがたくさんある」ことに気付いたそうだ。なるほど、やはりそうなるのだなあ。オダギリジョーが言うから説得力があるのは間違いない。この私みたいな仕事はテキトーにしてきた人が言っても何も説得力がないのはわかっている。

しかし、それでも「仕事なんてどうでもいい」の部分に凄く共感するし、これは真理だと思う。学生を終えて社会に出ると多くの人は仕事に追われるものだ。いつの間にか仕事中心の人生になってしまうのだ。まず、仕事のスケジュールが先にあり、そのあとにプライベートの生活設計をしていくのが多くの人の人生パターンである。しかし、こうした仕事中心の人生はものすごくむなしいものだと思う。というよりも、人生の虚しさを覆い隠すために仕事で誤魔化しているとしか言えないような気がするのである。

本当は人生なんて何もないのだ。生まれてきて死んでいくだけあってそこに意味などないのだ。しかし、その虚しさを正面から見つめ続けるとあまりにも虚しすぎて発狂するから仕事に熱中して誤魔化しているだけなのである。オダギリジョーもそうしたことに気付いたのではなかろうか?めっちゃ上から目線になって恐縮であるが。我々はしょせん、何物でもないのである。人生で起こることはすべて暇つぶしだ。生まれてくるのも暇つぶしなら、学校に行くのも会社に行くのも病院に行くのも趣味を楽しむのも死んでいくのもすべて暇つぶしに過ぎない。もちろん、シャンパンコールも暇つぶしなら、仕事中にふと頭の中でシャンパンコールが鳴り響いている私も暇つぶしである。

あまりいろんなことにのめり込むのは良くない。仕事にのめり込むのもそうだが、仕事をしなさ過ぎて暇を持て余し続けるのもどちらもあまりよくない。しかし、社会というものは理想的なつくりになっていないからすべては思い通りにいかないのである。適度に働いて適度に余暇を楽しむことはなかなか難しいものだ。それをやるとあまり稼げなくて生活が立ちいかなくなったりするものだ。この世は地獄みたいなところである。人生は刑務所のようなところである。楽園を求めてはいけない。

そんなことを考えながら今日も働くのだ。だるいなあ。