先日の記事で毎日のようにサンマを食べていたら飽きてしまったのでアジを買ってきたという記事を書いた。早速昨日アジを焼いて食べたのだがあまりにも骨が多くて身が少なくて腹が立ちました。そう言えばそうだった・・アジは骨が多い魚だった。もうしばらくの間アジは食べません。これならサンマの方がはるかに食べやすいし美味しいと思った。私はアジには向かない男なのだ。アジよりもサバ、サバよりもサンマ、サンマよりもカツオ、カツオよりもマグロがいいのである。ちなみに、マグロの女は好きではない(キラーン)。
さて、私のガタガタになった身体はなんとか無事に復活の兆しを見せている。昨日はあまりにも体調がやばかったのだが家で寝まくっていたら台風と一緒に通り過ぎて行った。本当にこの身体をどうにかしてほしい。私はこの身体に人生を振り回され、悲鳴をあげ続けてきた。人間って体力さえあればいろいろなことができるのにとても残念である。これもまた、私の人生だ。
先日、テレビを見ていたらイタリアのミラノでオペラ歌手になるべく奮闘している35歳の女性のドキュメンタリーをやっていてとても面白かった。その女性は大学受験で音楽大学に行きたかったのだが失敗し、東京大学に行ったのだそうだ。東大卒業後大手の金融会社で働いていたがどうしてもオペラ歌手になりたくて会社を辞め、単身ミラノに渡り、音楽修行をしながらオーデイションを受けまくっては落ち続けているそうである。
その女性を見ていてなんだかとっても複雑な気持ちになったことは確かだ。確かに本人がどうしてもオペラ歌手になりたいという強い気持ちをもって頑張っているというのは大変素晴らしいことである。いつか夢を叶えてしまうかもしれない。そうなったら最高であろう。人一倍努力できる才能があるし、負けず嫌いで凝り性なのだろうと思う。音楽大学に失敗しても東大に入学できるほど勉強ができたのだからそれだけで凄い。
私が複雑な気持ちを抱いたのは人生の残酷さを見た思いがしたからだ。確かに彼女は誰よりも努力しているし、目標に向かって邁進していることは確かである。しかし、仕事の中には自分がどんなに望んで、頑張っても求められなければさせてもらえない種類のものがたくさんあることも同時に忘れてはならないと思う。一言でいうと才能がなければできない仕事というのがあるのだ。凡人は天性のセンスや才能を持つ人にどうあがいても勝てない仕組みになっている。
特に芸術やスポーツの世界でははっきりとそうした面が表れてしまう。芸術やスポーツの世界で活躍するためには天性の素質を持つ一握りの恵まれた者だけがものすごく努力をしてなんとか仕事を続けていける厳しい世界なのだ。東大に合格できるくらいの受験秀才であれば他にやれる仕事はたくさんあるだろうから、私ならもっと現実的な人生を歩むだろうなあと見ていて思った。というのも残念ながら私から見て彼女の中にほとばしるようなオペラ歌手としての才能を感じなかったからである。
彼女の人生なのだから思う存分に後悔なく生きてもらえば良いのだが、最終的にはやはりスポーツや芸術の世界ではどうあがいたところで才能ある人には勝てないんだという厳しい現実を突きつけられてしまう気がして複雑な気持ちになった。確かに東大はじめ優秀な大学や音楽大学などに入るのは凄いことであり、誰でもできないことである。しかし、大学というところは基本的にお金を払って通うところである。社会に出るとその逆のことをし続けなければいけない。お金をもらう側になるのだからずっとずっと厳しい世界だ。
受験で成功した人の中では社会に出て思ったよりも成果が出ずにプライドが邪魔して腐っていく人も多いと聞く。お金をもらうということは自分の才能や素質を売るという側面がある。どんなにいい大学を出ていても俳優としての素質がなければ売れることはできない。逆に学歴など全くなくても天性の才能に恵まれ、努力をし続ければ成功できるかもしれない。結局自分がどの賃金労働ならできるのか?を現実的に考えあきらめて生きていくしかないのだと私は思う。もちろん、人それぞれ自分の生き方を自分で決めてそれに対して責任を取っていけるのであればなんでもいいのだが。
ということで、明日のビールはまだまだ検討中でございます。これにするかも↓

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- 発売日: 2016/03/15
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