人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

コミュ力について

私が大学3年生の終わり頃に就職活動というものを開始した10数年前の時点ですでに就職活動で(というか社会人として)最も大切な能力は『コミュニケーション能力』であると言われていた。私はこのコミュニケーション能力というものの意味がよくわからなかったが、今となってははっきりとよくわかるようになった。

なぜ、私は大学3年生にもなってコミュニケーション能力というものがよくわからなかったのか?それは、自分自身にコミュニケーション能力が絶望的に欠けていたからである。コミュニケーション能力というものは不思議なものである人にはあるし、ない人にはない。

コミュニケーション能力がないからつけようと思って頑張ったところでつくものでもない。これは、もっと先天的なものであり、持ち前のセンスのようなものであり、後天的に磨いて伸ばすというようなものではないのではないか?と私は思っている。

なぜ、このように思うようになったのか?それは私自身の人生の中に答えがある。私は人とコミュニケーションすることが苦手であり、あまり楽しいとも思わないタイプの人間である。だから、できるだけ無駄な会話を避けようとする癖がある。ちょっとした言葉を交わしあうことでリラックスが解けて仲良くなれる場面でも、あまり自らコミュニケーションを図ろうとしないため孤立するタイプである。

そして、こうしたことで悩んでいるコミュ障の人間はおそらく世の中にたくさんいると思われるのだ。そうしたコミュ障の代表として他のコミュ障達にアドバイスするとすればただ一つ、『もう諦めなさい』ということである。

人間にはできることとできないことがあるのだ。コミュニケーション能力が高く生まれてきた人にはいともたやすくできることがコミュ障にはとてつもなく高い壁だったりするのである。その壁を越えようともがく必要はない。それは無駄な努力だ。コミュ障はどんなに頑張ったところでコミュ力を飛躍的に高めることなどできないだろう。努力して少しはコミュ力を高めることができたとしても疲労感が半端なく、続かないことだろう。

コミュ障の人間というのはコミュ力がない人間が苦手である。コミュ障はコミュ力がある人間と仲良くしていた方が精神衛生上良い。コミュ力がある人間はコミュ障の人間をフォローできる場合が多いから気楽なのだ。ところが、コミュ障の人間がコミュ障の人間と話していると例外なくイライラすることになる。なんて、こいつは腹が立つ奴なんだ!!(怒り)と思うようになる。

コミュ障はできるだけ一人で暮らし、時々コミュ力のある人間と関わり、孤独に死んでいくべきである。当然ながらコミュ力のある人間はこういう結末↓を迎える可能性が高いことだろう。
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それを妬んでも仕方がないのだ。彼らは私とは別人なのだ。そして、コミュ力のある人間はまた別のことに悩むことになるのだから結果としては同じである。人間には正負があるのだから何かが優れていると何かが劣っていたりするものだ。例えば、私は自分のコミュ力が低いからこそ、海外一人旅を存分に楽しむことができる。旅の最中に誰かと話さなくても孤独を感じなくて済む。自分の世界をガッツリと作り上げてしまえば意外と人間は一人でも楽しめるものだということがわかった。

コミュ力が高い人間というのは孤独を嫌うようだ。つまり、寂しがりやな傾向がある。これはこれで色々と面倒くさそうだ。人間は一人でいる方が気楽で良い。

ということで、今日のご飯はカレーうどんだった。うどんを1袋30円、レトルトのカレーを1パック70円くらいで格安で購入し安く作ってみた。しかし、カレーうどんを久しぶりに食べて思ったのが、あまり美味しくないということ。カレーはご飯にかけて食べるべきだ。うどんとはあまり合わない気がする。カレーの味ばかりが飛び込んできてうどんの味が消されてしまう。それとフィット感も弱い。うどんにかけるならナポリタンかカルボナーラなどが良い。まあ、どうでもいいことだ。こんなくだらないことをつらつら考えながら死んでいくんだろう。

サツマイモとじゃがいもを茹でて食べたらおならが止まらなくなって困っている。あまりにもガスが出すぎるためドラッグストアでガスピタンを買って飲んだのだがそれでもまだ収まらない。
【第3類医薬品】ガスピタンa 36錠

全く私の身体はいろいろと面倒くさくできている。そして、今日は面白い本を読んだ。
蔵前仁一さんの『新ゴーゴー・インド』である。
新ゴーゴー・インド

この本、めちゃくちゃ面白い。インドのことがとてもわかりやすく面白おかしく紹介されている。インドに行ったことがある人ならリアルに「ああ、あのことね」と納得しながら読むことができる。インドとは臭い靴下みたいな感じと例えられる。臭い靴下の匂いを嗅ぎ、顔をしかめるけど少し経つとまたその匂いを嗅ぎたくなる。まさに、インドとはそんな国。

インド人こそコミュ力が高いのか低いのかよくわからない人達である。彼らは常に大勢のインド人に囲まれて生きているから人懐っこいのは確かである。しかし、どうもせこいというか適当というかいい加減というかルーズというかウザイというか厚かましいというか礼儀知らずというかやっかいな感じである。インドに行けばコミュ力があがるというわけでもない。コミュ力が高いタイプの人間はインドに行けばかなり楽しめると思う。私はインド人と絡むのがひたすら面倒くさかったからあまり楽しめなかったのだけど。

かの国ではまさにその人のコミュ力が試されるのだと思う。日本人にも大人気の国で驚くほど多くの日本人が旅行をしているからいざとなれば同胞に助けを求めればよいだろう。みんな、下痢しているから仲間みたいなものだし。たまに全然下痢しないツワモノもいるのだけれど。

ということで、アディオス。