水戸黄門の印籠を見せつけられて『ははー』とひれ伏し土下座する人達を見ていて『ああ、私はこういうことに全然興味が沸かないなあ』と心底思ってしまう。印籠が何なのだ?結局は、印籠の背後にある目に見えない権威を恐れるから人はひれ伏すのだ。
しかし、私は印籠を見せつけられても真顔で『だから、何?それがどうしました?』と開き直ることだろう。なぜなら、私は権威に興味がないからである。水戸黄門を素直に受け入れる人というのは、きっとこう思うだろう。『そうは言っても、黄門様(権威)に反抗したらお前はまともに生きていけないぞ。』と。
私は別にいつ死んでも構わないと思っているし、今日殺されても仕方ないと思っているし、この先やりたいことも特にないし、人生に後悔することも全くないし、好きなことは一通りやってきたし、当然ながら職場をクビになっても何とも思わないし、まともに生きていけなくなって路頭に迷ったらそれはそれで面白いと思っているし、人は遅かれ早かれ必ずいつか死んでしまうのでいつ死んでも同じだと思っているので、おかしなことはおかしいとハッキリ言いたいのだ。だからこそ、水戸黄門が出してくる権威という名の印籠に興味を示さないのである。
むしろ、どうぞ今すぐ殺してくださいという開き直りすらある。それより、あんたはそんな生き方をしていていいのか?と疑問を投げかけたくなる。そんな人生は虚しいよと教えたくなる。長いものに巻かれても強いものにひれ伏して生き延びても結局は皆、遅かれ早かれ死んで土に還ってきたのだ。我々も先祖様と同様に同じ運命を辿るだけである。30代で死のうが、100歳で死のうが結局はあっという間の出来事であり似たり寄ったりなのだ。
だから別に権威を見せつけられてもなんとも思わないというか興味が沸かない。そんなものは宇宙の中の塵みたいなものであり、取るに足らないカスみたいなものである。こう考えているからこそ私は上司がおかしなことを言っていたら遠慮なく反論する。時として上司が印籠を突き付けてきたがこちらも堂々とひるまなかった。やれるもんならやってみろ、こちらは何も怖いものなどないのだぞ!ドヤ!!という気分だ。
私は、権威を誇示して強さをアピールする人間もそれにひれ伏す人間も共に大嫌いである。そうした人達を本能的に一ミリも尊敬できないのだ。私が戦時中に生まれてきたとしたら間違いなくおかしなことを言う上官に反論してぶん殴り返して逆に『お前が行ってこい!!』と怒鳴って敵地に突撃させたことだろうと思う。頭のおかしな卑怯者はこてんぱにやっつけないとダメなのだ。私は権威よりも私自身の方が大事である。長生きに興味がないのだからそれで良いのだ。長く生きたいのなら権威に従ってへこへこしていた方が良いのだろうけれども。
私の考えを気に喰わない人がいましたらどうぞ、私を殺しに来てください。その勇気がありますか?楽しみでございます。わっはっはっは。